« 10−7 犯罪 | トップページ | 10−9 良く »

2008年1月11日 (金)

10−8 再構築

 日本は戦後、社会や共同体の安全をアメリカに委ねてきました。今でもそうです。自らの属する社会や共同体の防衛を外国に依存し、平和と安定を手にしました。しかし、同時に防衛意識が希薄になりました。防衛の根本はミサイルや戦闘機などの兵器や装備でなく、自らの属する社会や共同体を守ろうとする意識であり、連帯感です。つまり、防衛意識の希薄化とは、連帯感の希薄化です。社会や共同体の連帯が失われると、社会基準があいまいになり、常識や普通の感覚が麻痺します。そうすると、自殺率が上昇したり、凶悪犯罪が増加したりする可能性を先述しました。したがって、防衛意識の希薄化が、オウム真理教による地下鉄サリン事件発生や近年の少年凶悪犯罪増加に影響していると考えられます。悪化するいじめも、社会基準の歪みの現れであり、防衛意識や連帯感の希薄化が関係していると考えられます。
 自衛隊の社会的位置づけも、社会基準全体があいまいになってきた遠因の一つだと思います。憲法9条の解釈の中には、自衛隊を違憲とするものがあります。政府ですら、戦後直後には、自衛戦争を含め一切の戦争を放棄したとの解釈を取っていたほどです。確かに、戦争よりも平和の方が良いに決まっています。武力行使によらずに、国際紛争を解決することも望まれます。しかし、自ら欲せずとも戦争に巻き込まれる可能性はありますし、仮に他国に攻められた場合は、自衛の範囲であろうがなかろうが、武力行使をせざるをえない状況になるでしょう。有事の際に身を挺して社会や共同体を守ろうとする人に、ある種の尊敬が集まるのが普通の社会感情でしょう。しかし、戦力不保持を掲げる社会は、社会や共同体を防衛する組織を日陰者として扱ってきました。自らの属する社会や共同体の防衛組織を否定しては、連帯感が希薄化するのも無理はありません。
 その反動としてか、薄らいだ国家意識を回復しようとの社会的動きが以前よりは活発化してきた印象です。新しい歴史教科書を作成する運動は一例でしょうし、安倍総理が掲げた「美しい国」や「戦後レジームからの脱却」もそのような流れの一つと考えられます。自国の歴史や文化を正当に評価しようとすることは当然の行為です。ただし、これが排外主義に向かわないように気をつける必要はあります。排外主義は戦前のように自国を過大評価し、他国を過小評価することにつながりがちです。排外主義では何の国際関係も構築されません。愛国心は開かれたものである必要があります。開かれたナショナリズムです。
 歴史観とは現在から過去を見る尺度です。山でも見る場所により異なった見え方がします。歴史的事実も同じです。評価する時代や国によって異なった解釈が可能です。しかし、国際的評価は戦勝国側が決めます。敗戦国内でいかに議論を戦わせようとも、国際社会に影響は与えません。歴史観を変えたいなら、未来の国際社会で勝者の側に回るしかありません。現在の国際関係では、個人は別として、公式にはアメリカは原爆投下の非人道性を認めることはないでしょう。
 でも、当然ではありますが、防衛意識や連帯感ですべての問題が解決するわけではありません。家族、恋人、友人、同僚などとのプライベートな問題は自分で解決するのが基本です。進学や就職も言わずもがなです。社会の問題は社会が解決し、個人の問題は個人が解決する必要があります。個人の問題を社会の問題に転嫁するのは、問題の先送りか現実逃避でしょう。
 社会問題の解決に向かっては、連帯感の再構築が現在の日本には求められます。国家的危機が到来すれば、一時的に国家が連帯の中心になるかもしれません。しかし、長期間にわたって、国家が連帯の中心になることは出来ないでしょう。そういう時代ではもはやありません。職場も、地域社会も同様に社会的連帯の核に返り咲くことはないでしょう。家族や家庭だって人によったら、中心的存在になりません。古い価値観を復活させて社会的連帯感を醸成するのも不可能です。逆に、新しい単位であるミクシィなどのインターネットでのコミュニティも、一定の効果はありますがが、社会的な連帯感を育む核にまでなることは困難でしょう。シンプルで効果的な解決策はないと思います。すべての社会単位で、少しだけよくなるようにするしかありません。理想が実現困難でも、あきらめずに社会の再構築に取り組むしかないでしょう。でないと、状況はどんどん悪化します。あきらめない姿勢が、新しい社会形成につながるのだと思います。

« 10−7 犯罪 | トップページ | 10−9 良く »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事