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2008年1月 4日 (金)

10-1 教育

 イギリスの前首相トニー・ブレアは就任会見で重要政策を尋ねられ、「教育、教育、教育」と答えたと言われています。教育の重要性を表した言葉として、しばしば引用されます。教育の重要性は色々な人がよく説きます。でも、教育が重要であるとの主張は、実のところ、何も語ってないに等しいでしょう。問題は何をするかです。
 教育には、学校教育、家庭教育、社会教育の三つがあるとされています。教育といった場合、無意識に学校教育を指して語られることが多いほど、三つの中でも学校教育が議論の中心になります。日本政府は教育を再生するために、教育再生会議を平成18年に設置しました。再生というのですから、状況は悪いと認識されていることになります。教育政策もその他の政策一般と同じように、予算、法律(ルール)、組織が主な政策手段です。予算をどれだけ確保するかで、教師や学校施設の量は決定されます。法律(ルール)をいかに作成するかで、カリキュラムや教育内容の質は決定されます。教育委員会など組織をどのように設置するかで、責任者や経営・管理などが決定されます。ただし、政策とは畢竟、環境整備です。環境整備である教育政策は教育全体では半分の役割です。残りの半分は、教育現場に委ねられます。
 政策手段を実効するためには、政策メッセージは大切です。実のある政策手段と一緒に、国のトップが教育の重要性を唱えるなら教育政策の効果は上がるでしょう。就任会見での発言を踏まえて、ブレアは教育政策を具体的に展開しました。日本でも、精神論ばかりが語られるのではなく、具体的内容について議論が交わされ実施に移されるべきです。
 教育の目的としては、大別して、個々人の幸福増進をめざすものと、社会全体の発展をめざすものの二つがあると語られてきました。両方の目的は相反するものでなく、並立しうるものでしょう。個人的には、学校教育は発達段階によって、主たる目的が異なると考えます。小学校では、楽しい子ども時代を過ごすことが最も大切だと感じます。中学校では、社会に出る準備をさせることでしょう。高校・大学は、自己実現のサポートをするところだと思います。教育観は価値観そのものです。先述した目的も私の一意見にすぎません。価値観は社会的に許容されるものであれば、個人の自由に属しますので、教育を受ける側の選択に委ねるのが自由な社会では妥当だと考えます。
 商人に学問はいらないとか、女に教育はいらないという言葉が昔はありました。言う方には言う方なりの理屈があったのでしょうが、人間の可能性や社会の発展を否定するような嫌な響きを持っています。学問が好きな人もいれば、苦手な人もいます。学校教育は役に立つこともありますが、役に立たないこともたくさんあります。学問や教育を無理強いすることも、無理に遠ざけようとすることも、どちらも個人や社会を歪ませると思います。
 ところで、新入社員が社員に占める割合が数十分の一なのは、伝統ある大企業のよい点だと聞きました。毎年採用して、年齢構成が平均ならば、新入社員の割合はそれくらいになります。これなら、大企業は現実社会の縮図です。お手本になる人だけでなく、反面教師も豊富でしょう。明示的な社員教育以外に、無形の教育環境が整備されていると言えます。社会で自ら学ぶことが出来るのは得がたい経験につながります。
 教育とは、生きることの一部です。教えているつもりでも、教わっていることはたくさんあります。生きることの一部であるなら、特別なことではありません。ですから、教育を特別視して語る必要はありません。可能性もあれば、限界もある日常の事柄として考えるのが良いと思います。

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