10−3 無宗教
日本には宗教がないという見解があります。他方、初詣で神社へ、墓参りに寺へ、結婚式は教会へなど、宗教的行事にはことかきません。宗教には、生活や文化を規定する社会基盤としての力があります。キリスト教的な信仰とも、イスラム教的な宗教に基づいた生活とも違いますが、日本には日本の、宗教的何かがあると思います。山本七平さんは、それを「空気」の支配する日本教と名付けました。確かに、日常の会議から、果ては政治に関する世論まで、日本では空気が一変すると結論が変わります。よく言えば弾力的ですし、悪く言えば無原則です。論理よりも、空気というその場の情緒が物事を決定する社会です。
時々、一家心中のニュースを耳にすることがあります。借金を苦に一家心中をする。旦那を殺したので、そんな母親を持った子どもは不憫だから、子どもと一緒に死ぬ。理由は様々ですが、家族は運命共同体であり連帯して生きることを、当然の前提にした行動です。でも、子どもの命は親のものではありません。一歩引いて考えれば、子どもの命はその子のものと分かります。子どもが親と一緒に死ぬ必然性はありません。自殺自体を宗教的に禁じているせいからかもしれませんが、欧米では一家心中というのは、ほとんどないそうです。共同体の結びつきが、他の何よりも優先されることが、一家心中の背景にあります。共同体が中心の社会だから、空気という共同体の感情が人々の行動を決定します。
江戸時代では、農村を単位とする共同体が形成されていました。戦前は国家が共同体でした。その共同体も、空気に流された開戦による戦争で瓦解しました。戦後は、終身雇用を背景に会社が共同体になりました。ある大災害があった時に、自分の会社の人から優先的に助けようとする光景が見られたそうです。共同体のメンバーを特別視するのは、外国で事故が起きた時の日本人犠牲者を発表するニュースと一緒です。共同体メンバーの安否が確認出来たら、冷たいくらいに関心事でなくなります。
平成に入り、終身雇用と年功序列が崩れると、会社は共同体でなく、リストラをしてでも利益をあげざるをえない、単なる経済組織になりました。国家主義的な風潮が広がっているのは、北朝鮮の脅威が促進した面もありますが、会社が共同体たりえなくなってきたからです。従来の共同体が崩壊したので、それ以前の共同体であった国家共同体を懐かしむ声が、右傾化の背景にあります。過疎や都市化の進展により、農村共同体や地域共同体の復活が期待出来ないことも、国家共同体を渇望する声が広がる背景です。さらに、mixiなどインターネットでのコニュニティ・サービスの急速な拡大も、連帯や共同体を求めての活動と見られなくもありません。現実空間で共同体を構築できないなら、サイバー空間で共同体を構築しようという無意識の社会的試みだと感じます。とは言っても、mixiのコミュニティが会社共同体にとってかわることは難しいでしょう。
今後は、絶対的共同体のない、ゆるやかな共同体社会になると予想します。ただし、社会の不安定さは増すでしょうから、空気が社会を決定する点はむしろ強まるかもしれません。
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