10−4 格差社会
日本は一億総中流社会だと言われてきました。ただし、欧米でいう中流と、日本でいう中流は意味するところが異なります。欧米では貴族や資本家には遠く及ばないものの、一定以上の資産を有する人を中流と認識してきました。日本では資産はなくても、生活の向上が見込まれ、安定した収入のある人達が、中流と言われてきたと思います。日本における中流は、戦後の経済成長とともに拡大しました。
中流が社会の中心的存在だったため、日本は格差が少ない国と考えられてきました。格差の定義によって多少異なりますが、欧米と比較すると、総じて日本は格差が少ない社会でした。事業に成功したアメリカの大資本家や、ヨーロッパの大土地所有者など、欧米には上流が明確に存在します。歴史的にも、ヨーロッパでは非常に富裕な貴族層がずっと存在してきました。日本では、江戸時代を例にとれば、殿様は質素倹約を強いられ、京都の公家にいたっては貧しい経済状況を強いられることさえありました。日本にはヨーロッパ的な権力も名誉も資産も持ち合わせる上流は存在しませんでした。士農工商の身分制度はありましたが、金で侍の地位を買ったり、下級武士が能力によって抜擢されたり、階層間の事実上の移動はヨーロッパよりもはるかに可能な社会でした。さらに戦後は、まじめにコツコツ働けば貧困からは脱せられる経済環境でしたので、格差が固定化することもありませんでした。
しかし、ここ数年、格差が身近に感じられるようになってきました。ジニ係数という格差を表す指標も、政府報告によると上昇傾向にあります。そもそも、資本主義経済では資本が資本を生むので、富の偏在は時間の経過とともに起こります。したがって、所得再分配メカニズムが社会に強く組み込まれていない限り、資本主義では放っておくと資産格差は拡大します。現在でも、資産がある人は年金を小遣いに使う一方、貯蓄なき年金生活者は十万円の年金で一ヶ月を暮らさねばなりません。
ところで、戦争は国の経済状況を一変させ、リセットする結果をもたらします。まさに、経済のリセットにより、富みの偏在が和らぎ、資産格差が薄らいだのが戦後直後の日本でした。みなが0から出発すれば、しばらくは、格差は小さな範囲です。しかし、平和が続き、社会が安定すれば、格差は拡大します。最近では様々な分野で二世が普通になってきました。二世の拡大は世襲の拡大であり、階層の固定化ともみなせます。
加えて、バブル経済崩壊後の長引く不況が格差の拡大をもたらしました。弱い者ほど不況の影響を受けます。労働コスト削減はアルバイトや派遣などの非正社員の増加をもたらしました。さらに、正社員の賃金は保障されていますので、労働コスト削減のしわ寄せは非正社員の賃金に表れます。バブル崩壊後は、生活向上も期待出来ず、不安定な収入状態にある人々が増加しました。また、二世などの勝ち組と言われる人々と、非正社員などの負け組と言われる人々の二極化が進みました。負け組とは、将来に明るい期待を抱けない人々かもしれません。
これらの格差拡大に対して、税制による所得再分配の強化や最低賃金の引き上げなどが唱えられます。他方で、マネーゲームの勝者を認めたくない雰囲気も社会にはあると感じます。でも、最高税率を上げるなどの金持ち叩きをするよりも、底上げや抜擢により社会全体を持ち上げる方が建設的だと考えます。また、低賃金労働を法制度により高賃金に変えたところで、製品やサービスの国際的な価格競争で敗れるだけです。ひとりひとりが専門性や技能をアップし、付加価値を高めないと社会全体の向上にはつながりません。
格差社会を生き抜くためには、今後はさらに専門性や技能という「腕」が求められます。一人前の腕を身につけるためには、二十代、三十代の経験はますます重要になります。その上で、格差社会で最も必要なのは、将来に向かってたくましく生きようとする姿勢でしょう。ただし、自立が難しい人は、いつの時代にも必ず存在します。格差の有無にかかわらず、本当の弱者には社会全体が手を差し伸べるべきです。
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