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2007年12月22日 (土)

9−2 国土計画

 第二次大戦により日本の多くの都市は荒れ果てました。そのため、戦後は国土の復興からはじまりました。一途に経済を回復し、開発が進められたのが昭和20年代です。そして、昭和31年の経済白書では「もはや戦後ではない。」との有名な文句が記されました。昭和30年代、40年代の日本の高度経済成長は、日本史だけでなく世界史でも他に比肩しうるものがないほどの経済成長でした。
 経済成長時代の代表的な国家ビジョンが所得倍増計画です。昭和35年に発表されました。10年で経済規模(所得)を二倍にしようという「経済」計画でして、政治的にも分かりやすく、強烈なメッセージでした。これに対して、二年後の昭和37年に発表されたのが全国総合開発計画です。経済成長により広がった都市と地方の格差を解消し、均衡ある国土の発展をめざした「国土」計画でした。昭和47年に発表された、田中角栄元首相の日本列島改造論も、均衡ある国土の発展をめざしたものです。
 その後、経済は成長率が鈍くなったものの拡大を続けましたが、国土については過疎も過密も公害も、どの問題も解消していません。過疎などはむしろ悪化している状況です。確かに、早すぎた経済成長が歪みを生み出した側面はあるでしょう。終戦直後の復興計画では東京が一千万都市になるなど夢見事であり、関係者は全く予想していませんでした。しかし、失敗した本当の理由は、国土計画は策定するものの、現実に厳しい開発規制を敷かなかったことです。欧米に比べて、日本の開発に関する規制は緩やかです。戦後、私有権の尊重が行政でも高まったこともありますが、最大の理由は、開発が政治と強力に結びついていたからです。公共事業や民間開発の恩恵を受けた人々は、政府与党の有力な支援勢力でもありました。彼らの政治力は20世紀後半の日本では無視し得ない存在でした。そのため、厳しい開発規制を政治的に採用することが出来ませんでした。国や地方の財政赤字が膨大になった20世紀末になってはじめて、公共事業削減が正式に目標に掲げられ、国の開発路線も変更されるに至りました。
 したがって、国土計画は規制でも予算でも裏付けのない単なるビジョンになりました。実効力なき政府計画は真の政策足り得ません。国土計画に実効性を担保するためには、政策手段としての強い規制が必要です。イタリアやフランスの都市における建築規制やドイツの環境規制など、ヨーロッパでは国土に関する強い規制が引かれています。日本でも景観法が整備されましたが、実務レベルでの実効性はまだまだです。一般的に経済規制は緩和されるべきですが、国土に関する規制は日本では強める段階であると考えます。
 未来やビジョンを語るのは誰でも自由です。でも、ビジョンに意味があるのは、それを語る人にビジョンを実現する力がある場合のみです。ビジョンを実現する力がないなら、ビジョンは単なる絵に描いた餅です。政府の国土計画には、実効性のある政策手段への言及が求められます。

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