« 8−1 人口構造 | トップページ | 8−3 ニート »

2007年12月12日 (水)

8−2 少子化

 05年に生まれた子どもの数は106万人でした。他方、中絶数は29万件でした。出生数に対する中絶数の割合は、ここ十年間だいたい三割程度です。ピークの昭和三十年代前半は七割にも達していました。はじめてこの統計に接した時は非常に驚きました。ただし、諸外国に比較して日本だけが突出しているわけではなく、05年時点ではカナダやフランスも同じくらいの割合で中絶をしています。やむに止まれぬ理由はあるでしょうが、少子化が社会問題になる中、中絶が真正面から取り上げられることはあまりない気がします。
 江戸時代の人口の動きを把握するには、当時のお寺による檀家の記録が有効です。それによるとある村の江戸後期の人口は、ほとんど一定でした。その村から出て行く人の数と入ってくる人の数はだいたい同じだったそうです。現代と違って、子どもの死亡率は高い時代でした。それでも、一定の人口が百年以上、自然に保たれるわけがありません。現にその村は明治以降、急激に人口が増大しました。つまり、その村では百年以上にわたって、中絶による人口調節が行われていたのでした。日本全体でも江戸後期の人口は一定だったという推計が一般的です。ここでも中絶の広まりがうかがえます。
 こどもの数が減ると社会全体で活気がなくなりそうですし、さびしくもあります。少子化が続くと、高齢者が増えて現役で働く人の負担は増加します。また、労働力減少にも結びつきます。人口は国力の一つですので、総体としての国力も低下しそうです。悪いことだらけのように聞こえます。しかし、だからと言って、「生めよ、増やせよ」では戦前と同じでしょう。政府が家庭や個人の価値観に深入りするのは不健全だと思います。そういう意味では「美しい国」なんていうスローガンにも個人的に強い違和感を覚えました。「強い」は数値にできるので集団の目標になりえますが、「美しい」は数値にできませんし、個々人の価値観で異なります。「美しい国」とは専制君主の国ではしっくりくるでしょうが、民主的な国家とは相容れないのではないでしょうか。
 少し横道にそれました。民主的な社会では、出産はあくまで家庭や個人の選択の問題です。その上で、社会として家庭や個人の選択の幅を確保すべく、環境整備をするのが妥当な社会政策だと考えます。生んで、育てることが困難でない社会が望ましい社会です。しかし、言うは易し、行うは難し。ほとんどの先進国が少子化問題解決にトライしてきましたが、はかばかしい成果を治めていません。その中で、フランスの成功が注目されています。金銭面でもサービス面でも、子育てを支援するフランスのプログラムは今のところ成功に結びついているようです。成功した国の政策を研究するのは近道です。しかし、歴史や文化が異なるので、そのままそっくり導入しても、うまく行かない可能性が高いでしょう。そのあたりのさじ加減が現実政策の難しいところです。フランスモデルについては、その成功条件までを検討する必要があります。個人的には、家庭や個人の価値観に深入りせずに、政策として試せることは試してみるということが少子化対策のポイントだと思います。

« 8−1 人口構造 | トップページ | 8−3 ニート »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事