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2007年12月 5日 (水)

7−5 核兵器

 地球規模でみれば、第二次大戦も第一次大戦と同じく、主たる戦場はヨーロパでした。そのため、戦争での被害もヨーロッパの方が全体として大きいものでした。ただ、核兵器が使用されたという歴史的な大惨事はアジアの戦場、日本でおきました。第二次大戦とは核兵器が使用された史上唯一の戦争です。核兵器の威力は通常兵器と比べものにならないくらいに大きく、広島に投下された原爆は、東京大空襲で300機を超えるB-29から投下された全爆弾の十倍近いエネルギーでした。広島では十数万人の一般市民が亡くなり、まさしく一瞬にして焼け野原になりました。
 昭和20年8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾は落とされました。日本への原爆投下は既に前年9月にアメリカ大統領とイギリス首相とで申し合わされていました。原爆を投下するにあたっては、爆風の効果が分かるような都市、既に空爆で破壊されていない都市、市街地に居住地を含む都市などが条件とされました。広島、小倉、長崎が最終投下目標とされ、事前警告は行わないことが決められました。8月9日の第一目標は小倉でしたが、爆撃機が目標確認を三度失敗し、長崎に変更になりました。実際の投下までには、日本の約30都市で50回におよぶ周到な投下訓練が行われていました。広島に落とされた原爆はウランを用いたもの、長崎に落とされた原爆はプルトニウムを用いたものでした。別方式の爆弾を試すことが初めから計画されていました。長崎に原爆を投下した爆撃機は、あかたも実験のように爆風の圧力や気温を計測するとともに、爆発の様子をカラーフィルムに記録しました。
 二発の原爆により、数十万人が亡くなられ、また多くの人々が放射線症に長期間苦しめられました。大量の一般市民を無差別に殺し、長期間にわたって苦しめたのが広島、長崎の原爆です。同時に、広島、長崎以降、その破壊力のすさまじさから核兵器は国際政治のジョーカーになりました。核兵器を保有した国は軍事力と政治的発言力が一気に強まることになったのです。そのため、アメリカに続き、49年にソ連が、52年にイギリスが、60年にフランスが、64年に中国が核保有国となりました。そして、70年に核拡散防止条約が発効しました。この条約により、67年1月までに核兵器を保有していなかった国は核兵器の保有が禁止されることになりました。他方、保有国は核兵器の削減をする建前となりました。
 上記の核保有五カ国は国連安全保障理事会の常任理事国です。つまり、第二次大戦の戦勝国による秩序を再確認したのが核拡散防止条約です。確かに不平等ではありますが、核兵器は極めて非人道的な兵器であり、その管理こそが国際社会の安全につながります。したがって、07年では百九十を超える国がこの条約に加盟しています。しかし、現実には74年にインドが、98年にバングラデッシュが核保有国になりました。おそらく核兵器が地球上からなくなることはないでしょう。であるなら実際には、今よりも悪くしない、少しは良くするという取組みしかなかろうと思います。その意味で、核拡散防止条約の枠組みは現実的なものでしょう。

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