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2007年12月 4日 (火)

7-4 二つの世界大戦

 国の歴史とは戦争の歴史でもあります。国と国との関係が悪化した場合は、話し合いで解決するか、武力で解決するかのどちらかです。武力で解決する場合が戦争ですので、戦争は広い意味での外交の一手段と考えられます。17世紀頃までの戦争は国家間の争いというよりも、王様と王様の戦争であり、貴族と貴族の戦闘でした。傭兵が盛んだった頃は、紛争の種が尽きないように、相手国を滅ぼすような戦闘を傭兵はほとんどしませんでした。当時の戦争は、国家間の紛争解決の一手段という色彩が濃いものでした。
 それが、18世紀に現在のような国民国家が成立すると様相が変わりました。戦争が始まると、一般の国民が徴兵され、産業が戦争遂行に協力せざるをえないようになりました。国民国家と国民国家が総力を投じて闘う姿に変貌しました。第一次大戦はそれが誰の目にも明らかになった最初の戦争でした。第一次大戦はオーストリア・ハンガリー帝国皇太子の暗殺に端を発します。戦争は偶然で始まることがありますが、背後には必然があるものです。皇太子暗殺を契機に、ヨーロッパ各国は領土的思惑や同盟関係維持から二つの陣営に別れ、武力で外交問題を決着し、新しい勢力均衡を築こうとしました。関係各国が半年程度で終了すると思っていた戦争は、結果として四年の歳月が費やされました。機関銃をはじめとする火力の技術的向上により、長大な塹壕が築かれ、戦闘は膠着しました。また、人員や物資を総動員する戦争形態になった結果、国力が尽き、戦う意志がなくなるまで勝敗は決しないことになりました。チャーチルの言葉をかりれば、「第一次大戦以降、戦場から騎士道精神が失われ、戦場は単なる大量殺戮の場と化した。」とのことです。
 第一次大戦では一千万人近い犠牲者が出ました。これが第二次大戦になると数千万の犠牲者が出たといわれています。飛行機や戦車は第一次大戦で出現しましたが、本格的に使われたのは第二次大戦からです。ヨーロッパでの戦争の遠因は第一次大戦の戦後処理失敗です。講話条件は敗戦国ドイツが受け入れるには厳しすぎる内容でした。アジアでの原因は日中戦争の長期化です。八方ふさがりを破ろうとした日本の攻勢が戦争の引き金となりました。結果はドイツも日本も散々の敗北でした。特に日本は開戦当初こそ健闘したものの、途中からは全くアメリカなどに歯がたちませんでした。理由は経済力の圧倒的な差です。アメリカだけと比較しても、GDPで1/5、鉄鋼生産で1/10では長期化すれば物理的に勝ち目がありません。精神主義は合理的行為である戦争には役に立ちません。逆に、物資不足が精神主義に走らせた面はあったでしょう。他方、勝利したイギリスやフランスも国土が荒廃し、その後、国力は低下に向かいました。戦場になった国々に取っては、第二次大戦は勝った側も負けた側も大変な損失でした。人道的には戦争はしない方がよいに決まっています。また、国家としても大戦争のリスクは大きすぎます。国の運命をかける戦争を避けることが外交の究極目標でしょう。戦争が外交の一手段といえるのは、部分的である場合と結末をコントロールできる場合だけだと考えます。

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