« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月

2007年12月30日 (日)

9−10 環境問題

 猛暑や暖冬など地球温暖化を裏付けるような年が続いている気がします。異常気象も毎年だと何が正常だか分からなくなります。環境破壊や公害が社会問題になってから何十年もの歳月が過ぎました。その間に、先進国の一部地域の問題から、途上国を含む全地球的な問題に事の本質が変化してきました。環境問題は経済成長と一体で現れます。地球にとっての環境問題は、人間にとっての生活習慣病でしょう。どちらも豊かな社会が生み出す歓迎されざる結果です。
 地球温暖化の主要な原因の一つと考えられている二酸化炭素については、先進国の排出量は一定の増加傾向に収まっています。他方、途上国は急激な増加傾向を示しています。環境対策を講ずるとコストがかかります。先進国が以前そうであったように、途上国が環境よりも経済成長を優先することは容易に想像がつきます。したがって、日本など環境技術で競争力を持つ国が、全体最適化を図るために、途上国への環境技術支援を拡大する必要があります。
 個別の国で問題なのは、アメリカと中国です。アメリカは二酸化炭素など温室効果ガスの削減を定めた京都議定書から離脱をしています。アメリカは世界最大の経済大国であり、世界のGDPの三割近くを生み出しますが、同時に世界の二酸化炭素排出量の1/4を占めます。他の先進国と比較して、経済規模に対する二酸化炭素排出量は大きく、環境負荷の高い経済システムを続けています。京都議定書からのアメリカの離脱は、地球環境に対する国際合意よりも経済優先の国内世論を優先したためです。戦前、国際連盟に加盟しなかったことが有名なように、時にアメリカは大変内向きな政策を採用することがあります。
 中国は京都議定書に批准していますが、経済発展段階のため、現状では排出削減義務のない国にあたります。世界銀行の統計によれば、中国のGDPは日本の半分の水準であり、世界GDPでも5%を占めます。他方、二酸化炭素排出量は世界の15%も占めます。経済成長と環境対策のバランスが全く取れていない国と言っても過言ではありません。ちなみにインドも同様に急激な経済成長に伴い、二酸化炭素排出量が急増しています。そろそろ国際社会は中国を特別扱いせずに、排出削減義務のある国に位置づけるのが適当です。しかし、環境対策は当該国政府の自発的な取組みに期待するところが大きいので、強い圧力は逆効果になりがちです。現実的には、技術支援などを絡ませつつ、粘り強く国際社会が説得するしかありません。
 環境問題は経済学的にいうと外部不経済の問題です。環境コストが適切に市場価格に反映されていないので、例えば二酸化炭素では社会的に適切な水準よりも現実の排出量が多くなってしまいます。経済的な対策としては、税で負担を課したり、権利を売買したりして、経済的内生化を行うことです。京都議定書の排出量取引は、環境に関する一種の権利売買でして、取引を通じて全体最適を目指す政策です。また、技術進歩によって、有害物質を排出する割合を低下させることも非常に有力な方策です。ディーゼル車に低公害触媒をつけたり、ディーゼル車を低公害な車両に変更したりすることの効果は明々白々です。政策誘導するためには、法律で罰則を強化することも有効ですし、税や予算で支援措置を講ずる手もあります。規制強化に対しては、経済界の一部からは少なからず反対の声もあがるでしょうから、どれだけ本気で政治的に取り組むかが成否の分かれ目になります。
 さらに、環境問題に関する普及啓蒙活動も非常に重要です。特に、ミュージシャンやアーティストなど社会的影響力が強い人が環境問題を訴えることは、大きな効果が期待できます。近年、日本でもミュージシャンやアーティストによる環境イベントが頻繁に開催されており、環境問題を考える機会が増えました。環境問題は、個人レベルでの行動も大切ですが、ついつい実際の行いはおろそかになりがちです。なので、日頃から環境問題の深刻さを認識する機会が多いに越したことはありません。
 環境問題は例えて言えば生活習慣病です。したがって、短期間に劇的改善を目指すのでなく、少しずつ望ましい状態に近づけようとするのが現実的処方箋です。

2007年12月29日 (土)

9−9 エネルギー安全保障

 日本はエネルギー資源を海外に依存しています。日中戦争から太平洋戦争に戦争が拡大した理由の一つが、資源をめぐるものです。半世紀前も現在も、そしておそらく半世紀後も日本がエネルギー資源を海外に依存する状況に変わりはないでしょう。現代社会はエネルギー資源を消費して成り立っています。日本の食料自給率は40%ですが、エネルギー自給率はわずか4%にすぎません。エネルギー資源確保は国家安全保障の根幹です。
 オイルショックまでエネルギー供給に占める石油依存度は3/4を超えていました。石油と石炭の合計では九割に達していました。それが現在では石油依存度は依然高いものの、半分を切る水準になりました。他方、オイルショックまではわずかな供給だった天然ガスと原子力は、その合計が1/4を超える水準になりました。石油は中東など一部の地域に偏在していますが、天然ガスは地球上の広範囲に埋蔵が確認されており、安定的な供給が比較的可能です。また、原子力の利点は、原料であるウランが一度輸入され、原子力発電用の燃料として使用されると数年間利用できることです。原子力は蓄積性の高いエネルギー資源であり、資源の少ない日本にとってはある面では非常に魅力的なエネルギーです。
 総エネルギー供給でなく発電で比較すると、石油による発電はオイルショック前の七割から一割に減少しました。他方、それぞれ数パーセントだった原子力と天然ガスは、それぞれ1/3と1/4を超えるまでになりました。発電ではエネルギー供給源の多様化が着実に進展しています。全体としてはまだまだ脆弱ですが、日本のエネルギー供給において、現実的対策が行われてきたことはこの面からも伺えます。
 ただし、新エネルギーと呼ばれる太陽光や風力などのエネルギーも研究は進んではいるものの、エネルギー供給で占める割合は、この15年でほとんど変わっていません。新エネルギーがすぐに石油代替エネルギーになることはないでしょう。石油は安定供給のリスクが高く、石炭は環境負荷が大きく、新エネルギーにも過度の期待を欠けるのは現実性がないとなると、天然ガスと原子力が増加するのは合理的結果です。しかし、原子力はひとたび事故がおきると大惨事につながる可能性があります。チェルノブイリでは数万人の犠牲者を出し、大量の放射性物質が放出されました。日本でも東海村で事故が起き、死傷者が出ました。
 原子力を利用しないで済むならそれに越したことはありません。しかし、生活水準の維持や国家安全保障を考慮すれば、原子力エネルギーを適切に利用するのが次善の策です。言葉は適切でないかもしれませんが、ある種の必要悪として認めない訳にはいかないと考えます。先述したように、原料であるウランは、一度輸入され、原子力発電用の燃料として使用されると数年間、利用可能になります。これを考慮した推計では、日本のエネルギー自給率は4%から20%に高まります。メリットも大きいですが、原子力には大きなリスクが伴います。最終的にリスクを背負うのは国民ですから、原子力に関する情報公開は十分になされる必要があります。また、細部に至るまで、国等の外部機関が幾重にもチェックする実務が条件です。

2007年12月28日 (金)

9−8 食料安全保障

 日本人は現在、平均して一日当たり約2500キロカロリーを摂取しています。ところが、国産の食料でまかなっているのは、このうちの1000キロカリーにすぎません。カロリーベースでは日本の食料自給率は四割です。四十年前は七割でしたが、長期下落傾向が続いています。これは、食料が輸入出来ない状況になると深刻な食料不足に日本が直面することを示しています。輸入が出来ない状況では、米、いも中心への生産転換などを行ったとしても、昭和20年代後半レベルの2000キロカロリーしか確保できないそうです。
 食料自給率が減少している供給サイドの理由は、耕地面積の縮小です。ピーク時の約3/4にまで縮小しています。100%の食料自給を達成するには、現在よりも2.5倍の耕地面積が必要と推計されています。さらに大きな理由は需要サイドでして、日本人の食生活が変化したことが関係しています。ごはん中心の食事から、食卓におけるおかずの割合が増え、肉、乳製品、卵などの畜産物が増加しました。同時に、あぶらを利用した料理も増えました。栄養面では炭水化物が減って、脂質が増えたことになります。日本では、米の自給率が高く、畜産物の自給率は低いので、食生活の変化に伴い、全体としての食料自給率が低下することとなりました。
 これに対して、政府は平成27年に食料自給率を五割にする目標を発表しました。一割増加ですので現実的目標と思われます。しかし、重点的に取り組むべき事項をみると違和感を覚えざるをえません。需要に則した生産の促進、食品産業との連携、効率的な土地利用の三つが掲げられていますが、当たり前のことばかりです。当たり前のことから取り組まねばならないのが、日本の農政の現状なのでしょう。政治的に強すぎた農家と、次第に弊害が大きくなってきた補助金制度が、短期的には妥当でも、長期的には妥当でない農政を続けさせてきたのだと考えます。
 食料安全保障を重視した場合、以前のような国内農業保護は一つの選択肢ではあります。しかし、食料だけでなく多くの資源を輸入に頼っており、同時に製品輸出を行っている日本にとっては、自由貿易こそが国家の基本姿勢です。つまり、途上国をはじめとする諸外国からの農産物市場開放には応じざるをえない立場です。しかし、平均賃金が高い日本では農業においても高い付加価値が必要になるため、国内農産物の価格競争力は外国産農産物に劣ります。結果として、食料自給率は高まりません。自由貿易と食料安全保障は、日本においては現状、二律背反です。
 結局は、日本の農業の競争力をあげる以外に道はありません。産地で取れた作物を産地で消費するという地産地消が唱えられたりしますが、食料自給を高める抜本施策ではありません。農業就労者が減少していることを逆手に取って、大規模経営や大土地所有を推進すべきタイミングでしょう。農地解放は中期的には正しい政策だったのでしょうが、小規模農業を促進しすぎました。戦後の農業政策を長期で見直すべき時期になっています。

2007年12月27日 (木)

9−7 渋滞とラッシュ

 東京など大都市では渋滞は日常茶飯事です。渋滞はイライラの原因になりますし、時間ロスによる経済損失は甚大です。国土交通省の推計によれば、一人当たり年間30時間のロスだそうでして、日本全体では年間12兆円の経済損失と計算されます。これはGDPの2%以上です。この推計が全て正しいわけではないでしょうが、渋滞の社会的コストの大きさが実感できる数字です。
 渋滞は自動車の道路需要が道路供給を上回る場合に発生します。車が多すぎれば、自然と渋滞が発生することになります。では、車線を増加すれば解消するかというとそれほど単純ではありません。供給増加による渋滞解消を期待して、道路需要も増加するので、再び渋滞が発生します。圧倒的な供給拡大でもないかぎり、抜本的に渋滞が解消することはまれです。サンフランシスコなどアメリカの大都市では、10車線以上の道路で数キロの渋滞が見られます。道路供給の増加だけでは渋滞解消の困難さが伺えます。道路需要の抑制策としては、都市近郊まで自動車でやって来て、そこからバスや鉄道に乗り換えるパークアンドライドや専用レーンを設けて相乗りを優遇するものがあります。日本でも自動車通勤の発達した地方都市などでは一定の有効性があります。
 東京の渋滞は工事などにより部分的には酷いところもありますが、環状線など、近年の道路整備の進捗により、総じてよい方向に向かっています。少しでも、渋滞が緩和されるように道路整備を続けるしかありません。道路整備には時に立ち退きが伴います。立ち退く人にとっては堪え難いこともあり、相当の言い分もあるのでしょうが、一軒だけ残って反対運動を続けている状況を目にすると、私権の制限も場合によってはやむを得ないと感じます。
 同じく、都市の交通問題にラッシュがあります。東京では田園都市線や東西線のラッシュは200%の混雑率に達します。相当、圧迫感のある状態です。しばしば、身動きのとれない250%の混雑率にも達します。毎日のことなので、だんだんと感覚は麻痺しますが、ラッシュが心をすさませる異常な状況であることに変わりはありません。ラッシュは、20世紀に職住分離が広がると伴に、突然現れた生活形態です。毎日、知らない人とすし詰めになる経験を繰り返します。インターネットによる情報過多が近年よく指摘されますが、ラッシュによる物理的過密の方が生物レベルでは根源的な変化ではないかと感じます。
 新線開通、複々線化、時差出勤、オフィス移転のすべてを実施しないかぎり、ラッシュの解消は図れないでしょう。身体的にもラッシュは負担ですが、心理的には臨戦態勢の戦闘機パイロットよりも過度のストレスを、ラッシュ時の通勤客は被っているとの調査結果があります。ラッシュが日本で社会問題化して既に半世紀が過ぎました。昭和30年代と比べれば解消は進んでいますが、依然、社会問題であることに変わりありません。住宅問題解消を唱える内閣はこれまでもありました。そろそろ、ラッシュ解消に真剣に取り組む内閣が現れてもよいと思います。

2007年12月26日 (水)

9−6 まちづくり

 まちづくりは地方選挙では必ず掲げられるテーマです。プランは色々出てきますが、プランを実現したまちづくりは、ほとんどありません。多くの場合、プランに対して大枠では賛成が得られるものの、具体的なレベルになると個人の生活と絡むため、なかなか実現しません。社会全体の利益を増やすのに、一部の犠牲が伴いがちなことがプランが現実化しない理由です。そのため、不幸にも災害が発生し、一からまちづくりをする機会が訪れた場合の方が、まちづくりはうまく進むことがあります。災害を契機に、住民の側に連帯して困難に立ち向かう姿勢が育まれる面もプラスに働きます。反対に、気候が温和で災害の少ない街は、社会的合意を形成するきかっけが少ないので、まちづくりは総じて進みづらいようです。
 同じ一からのまちづくりでも、筑波や幕張など、人工都市の建設は簡単にはうまく行きません。建設当初は生活感のない、無味乾燥な街になりがちです。街とは人の営みが積み重なって形成されるものです。優秀な建築家やプランナーが机の前で知恵をしぼっても、うまくいかないのは当然です。海浜幕張に行くたびに、なぜこんなに無味乾燥な街を建設したのかと不思議になります。人工都市を建設する場合は、既に存在する潤いある街をまねて造った方が、よっぽど失敗がないのではないかと考えます。
 日本でも京都など古い街は美しい街並を保持しています。伝統の力でしょう。でも、実際に住んでみると機能的でなかったり、経済的でなかったりすることがあるそうです。このあたりが街づくりの難しいところです。そんな中、パリやロンドンなどは街並みと機能性をうまくバランスさせている街だと思います。しかし、だからと言って、普通の街がパリやローマを目指してみてもうまく行きません。歴史や規模を考慮し、身の丈にあった街作りを進めるのが一番です。首長や一部のプランナーのアイデアをベースにするのでなく、住民利便を第一に考え、時間をかけて進めて行けば、だんだんと住み良い街並みに近づきます。奇抜な発想も冒険的事業もまちづくりには不要です。
 道路、交通網、通信網などのインフラ整備はお金と時間をかければ進みます。効率的運用のためには、PFIなど民間資金の導入や、公設民営などの手法も有効です。ハードはなんとかなりますが、問題はまちづくりのソフトです。理想は昔の町内会のようなコミュニティが復活することでしょう。でも、ライフスタイルの違う現在に、昔のような町内会の復活は難しいと思います。また、高齢化に伴い、老人クラブのような高齢者コミュニティに期待がかかりますが、高齢者は自立性が高いのでこちらも難しそうです。他方、少子化が進んでいるとはいえ、こどものいる世帯では暮らしの中心はこどもです。しがたって、こどもを中心としたコミュニティなら、今でも社会的に拡大余地はありそうです。期待し過ぎることなく、こどもを中心とする地域コミュニティの形成に取り組むのが、住み良いまちづくりにはプラスだと考えます。

2007年12月25日 (火)

9−5 郊外

 戦後文化の特徴は郊外です。郊外は鉄道や道路などの交通網の発達が生み出した街です。第二次大戦後は世界中の先進国で郊外が広がりました。日本では特に高度経済成長以降、大都市周辺に多くのベットタウンが現れました。地方から都会に来た人や、都心では十分な住宅を得られなかった人にとって、郊外に住むことはとても魅力的な選択でした。
 70年代に全国で広がった大型ニュータウンの先駆けとして、東京近郊の高島平は有名です。72年から入居がはじまり、一面の田んぼは、またたく間に数万人が暮らすコンクリートの団地に変貌しました。地下鉄の駅、小中学校、公共機関が整備され、数年で新しい街が完成しました。ニュータウンは、田んぼや畑を整地したり、ときには海を埋め立てたりして建設されます。何もなかったところに、違った過去を持ち、同じような現在を持つ人が集まりました。他方、昔ながらの街は、過去も現在もそして未来をも共有する空間です。ニュータウンは、町内会を作ったり、お祭りなどの行事を開催したりして、しがらみのある昔ながらの街に近づこうとしました。しかし、新しい暮らしを求めて親世代がニュータウンに移ったように、成人した子ども世代は新しい暮らしを求めてニュータウンから移って行きました。子どもの声であふれていた高島平も、今では小学校が合併されるようになり、35年の時を経て老人の多い街になりました。
 80年代になると団地よりもゆとりのある戸建ての新興住宅街が建設されるようになりました。テレビドラマでも新興住宅街を舞台とするものが多く見られました。新興住宅街は持ち家の人からなるのがほとんどです。過去は共有しませんが、将来も顔をあわせる人達同士ですから、最低限のおつきあいは見られます。ですが、コミュニティの色彩はニュータウンよりも薄いでしょう。居住空間の広さから、成人しても親と同居を続けるのは新興住宅街ではよく見られます。また、干渉が少ないことは、裏を返せば孤立しがちな状況です。家族でトラブルが生じた場合、近所の知り合いがクッションになることは少ないので、事件となる確率も増えます。
 ニュータウンや新興住宅街の整然とした街並だけでなく、郊外には虫食い上に乱開発された地域も生まれました。住宅の周りは幹線道路、倉庫、農地などが混在していて、駅前もコンビニとパチンコ屋と自転車置き場からなる殺風景です。とてもじゃないですが、愛着の持てるような街並ではありません。開発が途中で止まった地域は荒れたままの状態でずっと放置されます。緩い土地利用規制の中、バブル経済など激しい地価の上下がひどい街並を作ってきました。美しいと感じるのは人それぞれでしょうが、酷いと感じるのはほとんどの人で変わりません。
 整然とした街を作る必要はありません。しかし、住んでいる人が愛着を持てる街並を作るべく、地域の議会や役所は取り組むべきです。これからの人口減少時代は郊外の人口流入も一段落します。郊外を再形成するのに適切なタイミングがやってきました。

2007年12月24日 (月)

9−4 都市

 都市とは隔離された空間です。例えば、中世以降のヨーロッパやアジアの大きな都市は、高い城壁を備えていました。城壁は防衛機能を有するとともに、内と外とを区別するものでした。ウィーンやイスタンブールには部分的ではありますが、今でも当時の城壁を見ることができます。また、フランスやイタリアに行くと、山の上に鷹の巣のような小さな城壁の街が見られます。中世のイスラム勢力との争いから街を守るために出来た形です。その歴史性と美しい街並から、フランスのエズをはじめ、今では観光地になっています。
 都市は文明が成立するとともに形成されました。既に二千年前に、ローマは世界の都として百万都市に成長していたとの推計があります。近代の幕が開け、産業革命が始まると、産業集積がおきて百万都市がいくつも生まれました。初期産業革命の中心であったロンドンは、明治維新の頃には世界最大の都市となったそうです。パリやソウルなど、一国の中で特に首都が巨大都市として発展するのも近代以降の特徴です。現在、世界中の巨大都市に金融市場が整備され、ほぼ一日中、世界のどこかでマーケットが開かれています。巨大都市は連携して世界的機能を担うとともに、同時に都市間で競争をしています。東京はアジアの中心としての地位をシンガポールや北京やソウルと争っていますし、同時に世界的規模ではニューヨークやロンドンと争っています。東京は毎年のように新しいオフィスビル群が誕生し、地下鉄をはじめとする交通網も着実に機能アップしています。地方はあまり変わらず、東京ばかりが変貌すると感じますが、都市として絶えず変貌しなければ世界的な大都市間競争で東京は生き残って行けません。
 巨大都市管理の難しいところは、経済ダイナミズムを維持しつつ、景観や環境など社会面を考慮しなければならないことです。例えば、時々ではありますが、東京の都市問題解決策として山手線内の土地公有化が提起されます。山手線を城壁に見立てれば、城壁の内側と外側でルールを変えることはありえることでしょう。自民党でも宮澤喜一さんなどは若い時分に、部分的な土地公有制を提唱していました。土地公有化は極端な議論かもしれませんが、持続的発展のためには利用制限など「私と公」のバランスが強く求められます。景観や環境など外部経済の水準を保つことが、都市の経済ダイナミズムの維持にも長期ではプラスになります。
 東京は経済だけでなく首都としての政治・行政機能も持っています。しばらく前に首都機能移転が真剣に検討されていました。地震が頻発する日本列島で、首都を安全なところに立地しようとの意図が検討の背景にありました。大地震が東京を襲う可能性は減じていません。といって、キャンベラやブラジリアなど新首都建設は芳しい結果を招いていません。また、東京は非常に機能的な街であり、首都「機能」移転先(首都移転先ではない。)の総合機能は東京に劣ることでしょう。しかし、国家安全保障を考えるならば首都機能移転には今も魅力があります。全面的に移すのがマイナスなら、首都機能移転先と東京とで十年毎に首都機能を交替で担う方法があると思います。当初の非効率は免れないでしょうが、長期的には国家安全保障だけでなく、東京一局集中の緩和にも貢献すると考えます。

2007年12月23日 (日)

9−3 地方

 地方の時代と随分前に耳にしました。しかし、現実には地方の時代はやってきていません。人口十万人以上の都市に住む人々の合計を都市人口といいますが、高度成長の始まった昭和30年には都市人口の割合は全国で1/3程度でした。それが昭和40年代には半分を超えて、現在では七割を超えています。地方の時代でなく、都市の時代です。例えば、近年、北海道では人口が減少していますが、札幌市では逆に増加しています。さらに都市の中でも、ある程度の規模以上の都市の方がそれ以下の規模の都市よりも人口増加傾向にあります。世界でも同様でして、08年には世界中で都市人口がはじめて半分に達するそうです。21世紀は都市の世紀になるでしょう。
 理由は、経済の高度化です。農業は耕地を必要としたため、人口も広く分布していました。その後、工業化がなされると工業地帯に人口は集まりましたが、それでも工業都市を地方に立地するため、人口分散は可能でした。田中角栄元首相が日本列島改造論で唱えたのも地方の工業化による国土の均衡ある発展でした。しかし、いっそう経済が高度化すると脱工業化が起きて、サービス産業が拡大します。サービス産業(第三次産業)で働く人は、今や人口全体の2/3に達しています。サービスとは人が人に提供するものですので、人口が多い方が商売は成り立ちやすくなります。集積が集積を呼ぶのがサービス産業の特徴です。つまり、歴史的にも世界的にも都市化が進んでいます。反面、地方は縮小しています。しかも、この傾向は変化する兆しがありません。
 それでも、なんとか都市と地方との格差を解消しようとの試みが、半世紀以上にわたって繰り返されました。高速道路や新幹線などの全国的な交通網整備が代表的政策でした。しかし、かえって都市との時間距離が縮まって、地方が都市に呑み込まれることもおきました。日本全体としては、何もしなかったよりも地方がさびれるスピードはゆるまったことと思います。ですが、客観的に見ると、戦後の地方振興策は積極的効果を発揮することなく、急激なマイナスを和らげる激変緩和の域を出ませんでした。私の両親の生まれ故郷もいまや完全なる過疎の村です。大人になって、生活を都市に求める人が増えれば、自然と村は高齢化して、ついには過疎化します。都会で子どもが生活し、たまに孫を連れて帰省するのが風物詩であり、過疎とはこんな身近な風景と表裏一体です。
 村や地方が生き残るには、原子力発電所を受け入れたり、別荘地化したりとやむをえない変化を求められます。なつかしい景色が壊れますが、生き残りには犠牲がつきものと割り切るほかありません。さらに、放っておくとその地方の文化も受け継がれることなく、立ち枯れます。経済は仕方がないにしても、できたら地方の文化・風習は現代化してでもなんとか生き残ってもらいたいものです。
 地方文化の継承に地方メディアの役割は重要です。中でも方言は重要な地方文化です。少し話題がそれますが、ローカル局には方言で放送する時間があってもよいと思います。

2007年12月22日 (土)

9−2 国土計画

 第二次大戦により日本の多くの都市は荒れ果てました。そのため、戦後は国土の復興からはじまりました。一途に経済を回復し、開発が進められたのが昭和20年代です。そして、昭和31年の経済白書では「もはや戦後ではない。」との有名な文句が記されました。昭和30年代、40年代の日本の高度経済成長は、日本史だけでなく世界史でも他に比肩しうるものがないほどの経済成長でした。
 経済成長時代の代表的な国家ビジョンが所得倍増計画です。昭和35年に発表されました。10年で経済規模(所得)を二倍にしようという「経済」計画でして、政治的にも分かりやすく、強烈なメッセージでした。これに対して、二年後の昭和37年に発表されたのが全国総合開発計画です。経済成長により広がった都市と地方の格差を解消し、均衡ある国土の発展をめざした「国土」計画でした。昭和47年に発表された、田中角栄元首相の日本列島改造論も、均衡ある国土の発展をめざしたものです。
 その後、経済は成長率が鈍くなったものの拡大を続けましたが、国土については過疎も過密も公害も、どの問題も解消していません。過疎などはむしろ悪化している状況です。確かに、早すぎた経済成長が歪みを生み出した側面はあるでしょう。終戦直後の復興計画では東京が一千万都市になるなど夢見事であり、関係者は全く予想していませんでした。しかし、失敗した本当の理由は、国土計画は策定するものの、現実に厳しい開発規制を敷かなかったことです。欧米に比べて、日本の開発に関する規制は緩やかです。戦後、私有権の尊重が行政でも高まったこともありますが、最大の理由は、開発が政治と強力に結びついていたからです。公共事業や民間開発の恩恵を受けた人々は、政府与党の有力な支援勢力でもありました。彼らの政治力は20世紀後半の日本では無視し得ない存在でした。そのため、厳しい開発規制を政治的に採用することが出来ませんでした。国や地方の財政赤字が膨大になった20世紀末になってはじめて、公共事業削減が正式に目標に掲げられ、国の開発路線も変更されるに至りました。
 したがって、国土計画は規制でも予算でも裏付けのない単なるビジョンになりました。実効力なき政府計画は真の政策足り得ません。国土計画に実効性を担保するためには、政策手段としての強い規制が必要です。イタリアやフランスの都市における建築規制やドイツの環境規制など、ヨーロッパでは国土に関する強い規制が引かれています。日本でも景観法が整備されましたが、実務レベルでの実効性はまだまだです。一般的に経済規制は緩和されるべきですが、国土に関する規制は日本では強める段階であると考えます。
 未来やビジョンを語るのは誰でも自由です。でも、ビジョンに意味があるのは、それを語る人にビジョンを実現する力がある場合のみです。ビジョンを実現する力がないなら、ビジョンは単なる絵に描いた餅です。政府の国土計画には、実効性のある政策手段への言及が求められます。

2007年12月21日 (金)

9-1 国土と文化

 社会や文化は生産形態に影響を与えるだけでなく、生産形態から影響を受ける面もあります。特に、長い時代にわたって主要な産業だった農業と密接な関係にあります。日本の農業は、北限稲作農業が主でした。そのため、日本の社会や文化は北限稲作農業の影響を受けています。
 古くはアダム・スミスが指摘しているように、米は小麦などに比べて、同じ耕作面積での生産カロリーが大きく、同一面積で多くの人を養うことが可能です。専門的な言葉であらわせば、土地生産性が高いということです。同時に、日本の稲作は欧米の小麦生産等と比べて、手間ひまのかかる農業です。これを労働生産性が低いと言います。日本の農業の特色は土地生産性が高く、労働生産性が低いことです。ヨーロッパの麦作農業はこの正反対です。狭い土地で人手をかける日本と広い土地で人手をかけないヨーロッパです。どちらも環境に適合した結果です。
 稲は熱帯原産の作物です。この熱帯原産の作物を日本では亜寒帯である東北で栽培するまでに改良を重ねてきました。タイで見られる浮き稲など、種をまいた後はほとんど人手をかけない稲作もありますが、日本の稲作は田植えや草取りなどで多くの労力を要します。特別の腕力は必要としませんが、根気がいる労働です。日本の丹誠こめた物づくりの原点は稲作にあるでしょう。
 田植えや稲刈りなどの稲作労働が日本に与えた影響に、共に働く文化があります。日本では現代でも、一緒に働くことを通じて、お互いを認め合い、組織や地域の維持運営をはかります。密集して多くの人がともに働くわけですから、個性よりも協調性が重視されます。また、島国であり、異民族が流入しなかったことも協調性が重視された理由でしょう。異民族と戦うことが日常の社会では、協調性よりも個性や生命力が求められます。かたや、一緒に働くことで成り立つ社会はトラブルが発生しないように、察しあったり、未然に調整したりする社会にだんだんとなっていきました。
 また、家畜に対する接し方は日本とヨーロッパでは大きく異なります。日本では農耕馬は貴重な労働力であり、土間に入れることすらありました。家族の一員のような扱いです。他方、ヨーロッパでは家畜は労働力であるよりも厳しい冬を越すための貴重な食料です。冬がおとずれる前に絞めて、保存食にしました。ヨーロッパ人が日本人よりも残酷なわけではありません。必要に迫られた結果です。時に家畜の命を慈しむこともあったでしょう。家畜は食料になる運命である、動物と人間とは異なる存在であると宗教的にも無意識にも肯定する必要があったはずです。これは人と犬の間にも当てはまる気がします。日本人の犬へのしつけに比べて、例えばフランス人のそれはきわめて体罰的です。日本人のように家族扱いするのでなく、あくまで上下をはっきりさせた関係です。かつてのヨーロッパの植民地統治形態にも、ヨーロッパ社会での人間と家畜の影響があったと推測します。

2007年12月20日 (木)

8−10 年金

 20世紀は税金が選挙の主な争点でしたが、21世紀に入って新たに、年金が争点に上がることが増えました。国に支払わねばならないお金だけでなく、国から受給するお金も社会的な関心に加わったことになります。高齢化社会が進展し、老後の生活が多くの人に身近なテーマになったのが理由です。
 年金には自分で積み立てた金額を受け取る積立方式と、積立額によらずに金額を受け取る賦課方式の二つの方式があります。賦課方式というのは、その年に国が支払う年金総額を集めた額でまかなうやり方です。現役で働いている世代から高齢者世代への社会的仕送りとみなせます。昭和34年に国民年金が制度化された時は、日本は積立方式を採用していました。しかし、当時はインフレの時代でした。その後、年金の実質的な受取額をインフレで目減りさせないために、物価にスライドさせる方式が導入されました。また、高齢化が進展するとともに、一年間での年金の支払総額が増加するようになりました。そこで、賦課方式を加味した、修正された積立方式に日本の制度は変化してゆきました。
 日本の年金制度は、国民全てが対象になる強制的な上記の国民年金を基本にします。その上に、サラリーマンや公務員が給料に応じて支払う二階部分があります。自営業者は二階部分が義務ではありません。サラリーマンや公務員は二階建て部分も払っているので、受取額は自営業者よりも大きくなります。
 ところで、年金には公的年金だけでなく、私的年金があります。私的年金は自主的に金融機関に積み立てる一種の貯蓄のようなものです。病気は予想できませんが、老いは時間とともに確実にやってきます。であるなら、公的年金はなくとも私的年金だけで済むような印象もあります。しかし、年金は超長期の金融サービスです。積立開始から受給までに半世紀近くの時間を経ます。その間には、予期出来ない経済変動や社会変動があるかもしれません。民間金融機関だけではリスクをまかないきれない可能性もあります。なので、それらのリスクを一国の単位でカバーしようというのが公的年金です。また、強制でないと老後に備えない類いの人はいます。そういう人に強制的に老後への備えをさせる側面も公的年金にはあります。他方、私的年金は個々人によるプラスアルファの備えです。最低限の備えである公的年金を補完する関係です。
 その公的年金の運営がひどいことが今年に入って白日の下にさらされました。理由は大きく三つあると考えます。まずは、制度的な点です。積立額に関わらずに年金を支給する方式なので、年金記録を管理しなければならないとの意識が年金制度運営者である社会保険庁に欠けていました。次に、歴史的な側面があげられると思います。日本の年金制度の発端は軍人恩給です。恩給とは国が公務員との特別な関係に基づいて、使用者として給付するものです。鎌倉・室町時代に家臣の奉公に対して主人が所領などを与えたことも指します。現在の制度の背後にも、国が特別に支払ってやるとの意識を感じることがあります。記録がない場合、国民が支払ったことを証明しなければならないことなどはその一例です。資金を管理する側の責任が忘れ去られています。最後は、厚生労働省と社会保険庁の職業倫理の崩壊です。何十兆円の国庫債務を残した国鉄に匹敵するひどさだと思います。公務員制度と組合制度が交わったある場合に、構造的にモラルがなくなる最悪の例です。
 杜撰な管理は何十年にわたって続いてきました。これを直すにも長い時間がかかります。選挙の毎に争点にしてチェックを繰り返す以外に方法はないでしょう。選挙の争点になりさえすれば、与党は制度運営者の改革を継続します。それを続けていけば、運営管理自体は良い方向に向かうでしょう。
 問題は公的年金が制度として持つかどうかです。年金は単純な算数です。おおざっぱに言って、積立方式ならば積み立てた金額を戻すだけですし、賦課方式なら現役世代の所得を高齢者にまわすだけです。そこにはマジックはありません。足りない分を税金で補填するにしても、税金はだれかが支払います。国債を発効してまかなっても、将来につけを先送りしたことにしかなりません。年金制度は、いつ誰が負担するかの算数です。
 これからますます高齢化は進展します。現役世代が減り、高齢者の数が増えます。そもそも公的年金とは国全体での助け合いの制度です。弱者から助けるのが筋でしょうから、富裕な高齢者は年金受給額のカットが進むことになると予想します。加えて、受給者の数が増えるので、広く薄くの給付になり、受給水準全体の低下も避けられないでしょう。平均的所得を有する人は、自ら老後に備える必要が一層高まることになります。年金でノンビリ暮すのは、老後の一つの理想です。しかし、これからは公的年金を全面的にあてにしない方が現実的だと思います。

2007年12月19日 (水)

8−9 外国人労働者

 パブル経済華やかなりし頃、きつい・汚い・危険を略した3Kという言葉がありました。好景気により3Kである単純労働は敬遠されて、労働力不足が声高に叫ばれました。それを解消するために、外国人労働者受け入れを経済界などが強く主張しました。今でも、景気が回復すると、賃金上昇をきらって、外国人労働者受け入れが主張されるのがパターンになっています。
 日本で外国人労働者が全体に占める割合は1%くらいです。他の先進国と比べて低い水準です。イタリア、イギリスが4%程度、フランスが6%程度、ドイツが9%程度、アメリカが13%程度です。過去に外国人労働者や移民を積極的に受け入れた国は、現在も外国人労働者の比率が高い傾向にあります。一口に外国人労働者といっても、技術者などの専門性を有する労働者と単純労働者とでは扱いが異なります。多くの国で専門的な労働者は積極的に受け入れられています。他方、近年では単純労働者の受け入れには、各国ともに厳しい規制をしいています。
 フランス、イギリスなどの旧宗主国には、経済的結びつきから旧植民地出身の外国人労働者が多く存在します。ドイツは、英仏のように広い植民を歴史的に有していたわけではありませんが、より高い外国人労働者比率です。第二次大戦後、ドイツは目覚ましい経済復興を遂げました。その過程で労働力が不足したため、ドイツ政府は外国政府と提携して、労働力確保に努めました。特に、トルコから多数の単純労働者がやってきました。しかし、オイルショック後の景気低迷で人手があまるようになり、ドイツ政府はトルコ人をはじめとする外国人労働者の帰国を奨励するようになりました。しかし、外国人労働者はモノではありません。彼らも労働者である前に人です。長期で働く間には当然、家族を呼び寄せることもありますし、定住を希望する人もいます。帰国奨励ははかばかしい成果をあげませんでした。さらに、東西ドイツ統一後は旧東ドイツ地域で高い失業率が続くようになり、外国人労働者が雇用を奪っているとの見方がされるようになりました。イスラム文化への反感や排外主義も加わり、若者による外国人襲撃が頻発するまでになりました。
 日本には約80万人の外国人労働者がいると推計されています。低賃金で働きたいという供給も働かせたいという需要も十分にあります。しかし、生活環境整備や教育環境整備など、単純労働受け入れの社会的コストは決して低くありません。安易な受け入れはドイツのように必ず失敗します。日本政府もそれは理解しているので、原則として単純労働受け入れを認めていません。しかし、外国人研修制度という抜け道があります。技術移転という制度理念は素晴らしいのですが、外国人研修制度は悪用されているのが実体です。外国人労働者を受け入れるとは、その家族を受け入れることであり、異文化コミュニティを認めることです。受け入れるなら時間をかけることが必要です。また、日本語教育などに必要な予算を自治体はしっかりと確保すべきです。それが無理なら止めるのが賢明です。

2007年12月18日 (火)

8−8 失業

 長期的傾向として日本では失業率が高まっています。高度経済成長期には1%前半でしたが、今世紀に入ると5%を超えることもありました。経済成長段階では単純労働の需要が強くあり、特別の知識や技能がなくても多くの働き口があります。しかし、経済成長を遂げると、産業は高度化し、特別の知識や技能が求められる度合いが高まります。同時に、賃金水準が上昇するため、単純労働を必要とする産業は海外に流出します。経済の必然です。労働者は使用者よりも立場が弱いですから、最低賃金を定める社会的必要はありますが、この最低賃金水準も海外との競争を考慮しないと雇用全体を減らすことになります。
 同じく長期的傾向に自営業や家族従業員の低下があります。長期統計は多少のでこぼこがあるものですが、このデータは戦後一貫した傾向にある珍しいものです。裏をかえすと勤め人の割合が増加しています。戦後、半分だった勤め人の割合は、現在では働く人全体の九割に迫ります。サラリーマン社会の拡大です。自営業を続けることは簡単ではないということでしょう。さらに、労働時間の減少も長期傾向です。現在は高度経済成長期のピークにくらべて、3/4になりました。米英と同じくらいの水準です。仏独などのヨーロッパ大陸諸国には未だ及びませんが、長時間労働の減少は社会的に好ましいことです。
 一般的には景気が良くなると失業率は低下し、悪くなると上昇します。しかし、90年代は景気に関わらず、失業率の上昇が続く期間でした。企業は事業の再構築(リストラクチャリング)に積極的に取り組みました。そのため、本来の意味からそれて、従業員を解雇することがリストラと呼ばれるようになりました。企業が競争を繰り広げる資本主義に失業はつきものです。ですので、失業者のためにセーフティネット(安全装置)は必須です。いわゆる失業保険は、失業期間中の生活を保障する制度です。他方、職業訓練は再就職を支援する制度です。産業の高度化にともなって、求められる知識、技能は変化しますから、職業訓練の機会を国が提供することは意味のあることです。ですが、地域や年齢による雇用のミスマッチを埋めるのは、なかなか難しいのが現実です。
 近年、労働コストを押さえようと企業は正社員を減らして、パートや派遣社員を増やしています。既に、労働者の1/4は正社員ではありません。正社員と非正社員で同じような内容の仕事をしている場合すらありますが、非正社員の賃金は正社員に比べるとずっと低い水準でして、効率化のしわ寄せを非正社員が被っている格好です。他方、巨大企業の正社員は実質的に雇用を保障されています。それが結果として、若者の雇用機会を奪っていることもあるでしょう。労働市場は公平でなくなりつつあり、正社員であることがいまや既得権になってきました。もはや、大企業の労働組合は弱者の代表ではありません。皮肉にも勝ち組の一角です。
 しかし、正社員をうらやましがっても問題の解決にはつながりません。非正社員や失業者から正社員になろうとするなら、専門性のある知識や技術を習得して、自己の経済的価値を高めしかないでしょう。そういう姿勢はいつか必ず実を結びます。

2007年12月17日 (月)

8−7 障害者福祉

 厚生労働省によると、身体障害児・者が約350万人、知的障害児・者が約45万人、精神障害児・者が約260万人と推計されています。重複して推計されている人もいるでしょうが、何らかの障害を持っている人はおおよそ20人に一人の割合になります。多くの人は身内や知り合いなどに障害を持っている人がいると思います。
 福祉という言葉は、英語のwelfareの訳語として日本国憲法起草時に作られたそうです。日本国憲法第25条には「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)が明記されています。権利としての福祉です。これに対して戦前は困った人に施しをするような行政だったそうです。個人的には、第25条は日本国憲法で一番重要な条文だと思います。この条文を実現するのが障害者福祉の一つの目的でしょう。昭和24年に傷痍軍人等の保護の必要から身体障害者福祉法が制定され、その後、精神衛生法や知的障害者福祉法が整備されました。
 平成18年度の厚生労働省による障害者施策関係予算は8千億円強です。国家予算のだいたい1%です。厚生労働省によると障害者福祉サービスは増加が見込まれます。そのためもあり、利用者である障害者にも原則一割の負担などを求めたのが障害者自律支援法です。平成18年から施行されています。国家財政が厳しい中、政府が利用者に負担を求めることはありえないことではないでしょう。そうであるにしても、多くの関係者から制度改正には強い批判があがりました。国の制度というのは大規模なものなので、杓子定規な部分が生じるのは通常では仕方がない面があります。しかし、こと福祉に関しては別だと思います。障害者の多くは月10万円前後の年金や手当により生活しています。聖域視する気はありませんが、福祉の現場に対する制度の影響は非常に大きいものです。福祉行政には現場での弾力的運用が求められると思います。また、障害者自律支援法には附則で必要な検討がもりこまれています。問題があれば、法律に定められた期限によらず、すぐに変更すべきです。
 障害者の自律を支援するという法律の目的は評価できます。障害者も社会の一員であり、担える役割は多くあります。障害者を施設や家の中に押しとどめる必要は全くありません。また、七割の障害者に労働意欲があるとの調査結果もあります。しかし、障害者雇用において法定の雇用率は半分も達成されていません。しかも、大企業ほど達成率が低下するという悲しむべき状況です。達成していない大企業は、華やかに社会貢献活動を広報する前に、法的責任から手を染めるべきです。
 それから、障害者をもつ家族にも目を向ける必要があります。障害者の日常を支えているのは家族であることが多いでしょう。重度障害者の年老いた親が将来を悲観して障害を持つ子供と心中をはかることがあります。いたましいかぎりです。困難な道のりですが、そのようなことが起きない社会に近づかねばならないと思います。

2007年12月16日 (日)

8−6 医療と倫理

 医療技術は日々進んでいます。全体としては非常に好ましいことですが、倫理面などで難しい問題に直面するようになっています。
 近年、代理出産の問題が世論の注目を集めています。代理母とは、他人の受精卵を子宮に入れて出産する女性です。お腹が大きくなり、出産はしますが、生まれてくる子どもとは遺伝的に全くつながっていません。子どもが出来ない夫婦などが代理出産を利用します。日本では学会で自主規制はされていますが、法律で規制はされていません。現に、日本でも代理出産が行われた例が公表されました。また、海外で代理出産した子どもを戸籍上で実子として扱うことを求めて、裁判がされています。民法では、実子とは母親から物理的に出産された子どもを指します。この規定によれば、代理出産により生まれてきたこどもを実子にするのは容易ではありません。こどもが出来ない人は代理出産を認めてほしいと願っています。かたや、代理出産は自然な行為ではないですし、親子関係という本質的な社会倫理の問題ですので、様々な反対があるのも事実です。現在の最大の問題は、法律による基準がないことです。倫理や道徳について、むやみに法律を制定することは好ましくありません。自主規制というのは、例えば、表現の自由を担保するには良い方法です。しかし、法律がないまま、裁判が行われても、裁判官はルールを作ることが出来る訳ではないので、代理出産に関しては本質的な問題解決につながりません。一義的には立法府の二義的には政府の怠慢と言っても過言ではないでしょう。
 反対に法律が出来そうな状況に驚いた案件もあります。フィリピンで臓器売買の事実上の法制化が検討されています。理由は、臓器売買を全面禁止しても地下で行われるので、臓器移植を正しく管理しようというものだそうです。フィリピンの腎臓売買では、日本人は外国人の中で最大顧客との調査もあります。二つある腎臓の片方を提供しても、すぐには提供者に何も起こらないそうですが、高血圧や糖尿病などの生活習慣病になった時のリスクが高まるそうです。そのような人体への物理的影響もさることながら、生活のために文字通り体を売ることを社会が認めてしまってはまずい気がします。腎臓売買は数十万円でされるそうです。おそらくフィリピン人提供者が手にするのは十万円に満たないでしょう。貧困とはそれ自体が悪です。腎移植など移植医療自体は、適正な医療行為ですが、それを社会が適正に管理する必要が絶対にあります。
 医療技術の進歩が社会に及ぼす大きな問題にクローンがあります。10年以上前に、羊の体細胞から遺伝的に全く同一のクローンを作り出して以来、様々な動物のクローンが作り出されています。日本では、人に関するクローン技術は法律で禁止されています。世界的にも同じ流れです。医療技術の進歩も重要な社会的価値であり、法律による一律禁止は医療の進歩にマイナスになることもあるでしょうが、それでもやはり、同一の個体を作り出すことにつながるような研究は、人として触れてはいけない領域ではないかと思います。

2007年12月15日 (土)

8−5 医療制度2

 医療の質を保つためには、無駄を少なくする効率化が必要です。諸外国に比べて長い入院期間を短縮するなど、医療現場(ミクロ)での効率化だけでなく、医療制度全体(マクロ)の効率化が重要になります。医療制度の効率化を目指して、いくつかの国では市場原理の導入が試みられました。しかし、先述したように医療では市場原理はうまく機能しません。そのため、結果として市場原理導入は成果を挙げませんでした。また、性急すぎる改革が医療従事者の十分な理解を得られなかった面もあるでしょう。
 医療制度全体の効率化を行うには、市場原理をそのまま導入するのでなく、ワンクッションおいた工夫が求められます。日本の医療は健康保険組合などの公的機関を経由して支払いが行われています。患者個人の負担もありますが、大部分は公的資金による支払いです。支払いは請求に基づいてなされますから、支払元の公的主体は本来、必要な情報を膨大に集めることが可能なはずです。ただし、従来の紙と鉛筆の処理では、これらの情報を集計して分析するコストが採算にあうものではありません。しかし、医療の情報化がマクロで進展すれば、必要となるコストは低下します。マクロでの効率化とは、コンピュータ化であり、オンライン化であり、データベース化です。物流や金融で行われているIT化が、医療でも出来ないわけはありませんし、同じように効率化にプラスに働きます。
 ただし、忘れてはいけないのは、情報化するのは医療行為そのものよりも医療事務である点です。医療行為が主で、医療事務が従たる役割なのが医療現場の感覚ですが、医療の情報化では順番が逆転します。実はこれが医療の情報化が進まない原因の一つではないかと感じます。医療行為自体に効果を及ぼすものは積極的に導入されても、医療事務にプラスの効果を及ぼすものは、ややもすると二の次にされがちです。ですから、医療の情報化では公的に新しい制度を導入し、構造的に改革を進める必要があります。具体的には、専門職を当てる必要があるでしょう。医療情報師という専門家が医療事務の情報化を担うイメージです。これをマクロで推進するには、公的な予算と定員配置が必要になります。また、医療の情報化に取り組んだ医師でなければ、医療機関のしかるべき地位に就くことができないなどの人事面での方策も検討される必要があるでしょう。なぜなら、医療行為を中心で担っているのは医師であり、医師の参加なくして医療の情報化は進まないからです。
 近年、厚生労働省は地域医療の整備に力をいれています。医療機関を有機的に連携して、質量ともに十分な医療を確保しようとの姿勢です。このため、地方公共団体が医療で果たす役割が高まっています。しかし、現在のままでは地方公共団体に十分な情報がなく、場当たり的に対策を講じることになりそうです。情報を一元的に集約し、それを分析してはじめて、将来計画をたてることが可能になります。市場原理の優れた点は価格をシグナルにして、変化が絶えず明らかになることです。この市場原理が導入困難な医療で効率化を図るには、意識的に情報を収集し、分析するシステムが必要になります。

2007年12月14日 (金)

8−4 医療制度1

 日本で医療費は30兆円を超える規模です。高齢化社会の進展ともに、医療費がGDPに占める割合も増加しています。ただし、先進国の集まりであるOECDでは、日本は今のところ平均的な水準です。総医療費がGDPに占める割合が最も高いのはアメリカです。ちょっと古いですが、02年のOECDデータによるとアメリカの値は14.6%でして、二位のスイスの11.1%と大きな開きがあります。ちなみに日本は7.9%です。
 医療費が経済全体に占める割合が大きいのだから、アメリカの医療は広く行き渡っていると思いがちですが、現実は全く反対です。アメリカは先進国で唯一、全国民を対象にした公的な医療保障がない国です。一般の人は、民間の医療保険を利用しています。公的な医療保障には高齢者と障害者を対象にしたメディケアという制度と貧困者を対象にしたメディケイドという公的制度はありますが、国民の15%以上を占める4000万人以上の人々が何の医療保険にも加入出来ていません。保険に加入してない人は、医療費の支払いが多額になるので、病気や怪我をしても病院に通えません。反対にお金さえ払えば、世界で最も進んだ医療が受けられるのもアメリカです。
 医療制度でアメリカと反対に位置するのがイギリスです。第二次大戦直後に定められた法律によって、生まれてから死ぬまで、予防医療やリハビリなどを含む包括的な医療サービスをイギリス国民は受けることができます。一般の税金を財源にして、国が責任を負う制度です。日本と大きく異なるのは、登録した開業医に初めに診療を受けなければならない点でして、自由に病院を選ぶことができません。また、医療全体が国の予算で管理されているので医療費全体はコントロール可能ですが、救急でない場合は順番が来ないと長い間入院できないなど、医療サーブスの量に制約があります。
 日本では患者が病院を自由に選べます。さらに、全国民が医療保険に加入しています。公的な色彩の強いイギリス型と民間の色彩の強いアメリカ型の中間に位置しています。多くの先進国も日本と同じ中間的な制度です。一般に経済学では、国よりも市場の方が効率的なサービス提供が可能とされています。しかし、アメリカを見るかぎり、医療では市場はうまく機能しないようです。命あっての物種です。人は命のためなら、いくらでもお金を払います。経済学で言う予算制約が働きませし、医者と患者の間には情報の非対称性も存在します。ですから、市場を通じて医療サービスはちょうど良い水準に落ち着きません。
 現時点では日本の医療費がGDPに占める割合は先進国では平均的な水準ですが、高齢化がどんどん進むので、今の制度のままだと経済全体への負担は今後増加します。だから、政府も患者負担を増やしたり、入院期間を短縮したりするなど医療制度改革に取組んでいます。だれもが医療を受けられる制度を維持しようとすれば、従来の質の向上や量の確保だけでなく、医療の効率化が避けられない状況です。医療で最も優先されるべきは質ですが、質を確保するためにもある程度、経済合理性も加味する必要が出てきています。

2007年12月13日 (木)

8−3 ニート

 ここ数年、ニートという単語が普通に使われるようになりました。厚生労働省は、15才から34才で労働も勉強も家事もしていない人を、ニートと位置づけています。平たく言うと、ぶらぶらしている若者を指した言葉です。60万人くらいがニートに該当すると推計されています。家事手伝いは、厚生労働省の統計ではニートに含まれませんが、内閣府の調査では含まれることがあります。
 ニートというのは、そもそもはイギリス発祥の言葉です。Not in education, employment, or trainingの頭文字をとったものです。ただし、16才から18才を対象にしたものでしたので、日本でのニートの意味とは異なるものでした。また、日本のように一般用語としてニートという単語は普及してはいないそうです。しかし、私がヨーロッパにいた経験からすると、ニートという言葉はなくても、ぶらぶらしている20、30才代を問題にする風潮はヨーロッパにも確実にあります。また、日本と同じように、成人しても独身である間は親と同居する傾向があるフランス、イタリア、スペインなどの国々では、日本でいうニートは多数にのぼる印象です。ただし、ヨーロッパは若者失業率が日本よりも高い傾向ですので、ニート問題よりも失業問題に多くの関心が集まります。
 歴史的にみると日本は、ぶらぶらする若者がずっと存在した社会でした。理由は稲作社会であったことです。稲作は春の田植え期と秋の刈り入れ期に繁忙を迎え、必要な労働力がピークに達します。しかし、夏と冬は、春と秋ほどの労働力は必要ありません。繁忙期に季節労働者として働き、そうでない時はぶらぶらしている「やっかい者」を、社会として抱えていたのが機械化以前の稲作農村でした。また、武家でも次男坊、三男坊は肩身の狭い厄介者ではあっても、家族の一人でした。
 ある種の伝統であるにも関わらず、最近はニートに対して冷たい風潮があります。昔と違って、繁忙期の労働力や長男が欠けた時の代役という役割が現在のニートにないことが理由でしょうか。働かざる者、食うべからずの勤労意識もあるでしょう。広く指摘されるように、20、30代での職業経験は、個人の労働生産性を生涯にわたって決定しがちです。だからこそ、日本だけでなく、ヨーロッパでも若年失業が問題視されてきました。
 ニートが拡大した原因には様々なものが上げられています。個人的理由から不況などの社会的理由まで様々です。しかし、ニート問題を過大視しすぎたり、むやみに対策をたてたりするのではなく、社会全体が少し冷静になる必要があると考えます。壁にぶつかったり、悩んだりすることは20代、30代ではよくあることです。社会として、支援するプログラムは用意すべきものの、個人の意志が解決の決め手になる問題ですので、押しつけや一方的扱いは適当でないでしょう。支援プログラムの成功事例を地方自治体レベルで共有し、広めるのが現実的取組として有効だと考えます。

2007年12月12日 (水)

8−2 少子化

 05年に生まれた子どもの数は106万人でした。他方、中絶数は29万件でした。出生数に対する中絶数の割合は、ここ十年間だいたい三割程度です。ピークの昭和三十年代前半は七割にも達していました。はじめてこの統計に接した時は非常に驚きました。ただし、諸外国に比較して日本だけが突出しているわけではなく、05年時点ではカナダやフランスも同じくらいの割合で中絶をしています。やむに止まれぬ理由はあるでしょうが、少子化が社会問題になる中、中絶が真正面から取り上げられることはあまりない気がします。
 江戸時代の人口の動きを把握するには、当時のお寺による檀家の記録が有効です。それによるとある村の江戸後期の人口は、ほとんど一定でした。その村から出て行く人の数と入ってくる人の数はだいたい同じだったそうです。現代と違って、子どもの死亡率は高い時代でした。それでも、一定の人口が百年以上、自然に保たれるわけがありません。現にその村は明治以降、急激に人口が増大しました。つまり、その村では百年以上にわたって、中絶による人口調節が行われていたのでした。日本全体でも江戸後期の人口は一定だったという推計が一般的です。ここでも中絶の広まりがうかがえます。
 こどもの数が減ると社会全体で活気がなくなりそうですし、さびしくもあります。少子化が続くと、高齢者が増えて現役で働く人の負担は増加します。また、労働力減少にも結びつきます。人口は国力の一つですので、総体としての国力も低下しそうです。悪いことだらけのように聞こえます。しかし、だからと言って、「生めよ、増やせよ」では戦前と同じでしょう。政府が家庭や個人の価値観に深入りするのは不健全だと思います。そういう意味では「美しい国」なんていうスローガンにも個人的に強い違和感を覚えました。「強い」は数値にできるので集団の目標になりえますが、「美しい」は数値にできませんし、個々人の価値観で異なります。「美しい国」とは専制君主の国ではしっくりくるでしょうが、民主的な国家とは相容れないのではないでしょうか。
 少し横道にそれました。民主的な社会では、出産はあくまで家庭や個人の選択の問題です。その上で、社会として家庭や個人の選択の幅を確保すべく、環境整備をするのが妥当な社会政策だと考えます。生んで、育てることが困難でない社会が望ましい社会です。しかし、言うは易し、行うは難し。ほとんどの先進国が少子化問題解決にトライしてきましたが、はかばかしい成果を治めていません。その中で、フランスの成功が注目されています。金銭面でもサービス面でも、子育てを支援するフランスのプログラムは今のところ成功に結びついているようです。成功した国の政策を研究するのは近道です。しかし、歴史や文化が異なるので、そのままそっくり導入しても、うまく行かない可能性が高いでしょう。そのあたりのさじ加減が現実政策の難しいところです。フランスモデルについては、その成功条件までを検討する必要があります。個人的には、家庭や個人の価値観に深入りせずに、政策として試せることは試してみるということが少子化対策のポイントだと思います。

2007年12月11日 (火)

8−1 人口構造

 経済でも軍事でもなく、人口こそが長期では社会構造を決定します。社会科で習った人口ピラミッドを覚えているでしょうか。男女別に各年齢の人口を棒グラフで表したものです。出生数が毎年同じか増加傾向にあるなら、戦争でもないかぎり、若い人ほど人口が多くなるので棒グラフは末広がりのピラミッド型になります。日本でも大正の頃は、人口ピラミッドがその名の通りピラミッド型をしていました。それが現在では、五角形のような格好になっており、五十年後には80歳前後にピークのあるひし形になると推計されています。
 五角形になったりひし形になったりしたのは、高齢化が進んだからと子供の生まれる数が減少したからです。子供が多く生まれたのは、戦後直後のベビーブームとそのベビーブーム世代の子供が生まれた70年代前半です。現在の人口構造でも、それらを反映して人口のピークが二つできています。ベビーブームは一時の現象でなく、70年、80年の長きにわたって社会構造を決めるものでした。
 少子高齢化が進むと、医療費や年金など社会保障費の経済全体に占める割合が高まります。働いている現役世代から高齢者に所得の移転が行われるので、現役世代の手取りは減少することになります。少子高齢化もイギリスのようにゆっくりと進んだ国ではそれほど問題になりませんでした。しかし、日本のように急激に少子高齢化が進むと、社会構造、経済構造が短期間に大きく変わるので、様々な問題が生じます。
 ただし、少子化はともかく、高齢化それ自体は全く悪いことではありません。むしろ好ましいことです。高齢化社会とは長寿社会であり、人類の悲願でした。それを科学や医療の進歩により達成しようとしたのが近代の歩みでした。つまり、高齢化社会とは近代化を達成した結果です。現在の日本は、急いで坂を上ってみたら、別の新しい壁にぶつかったという感じでしょうか。
 年を重ねると人は保守的になります。これは集団でも同じことです。高齢者が多く、若者の少ない社会は変化に乏しい保守的に社会になるでしょう。反対に若者が多い社会は不安定な社会です。ある歴史学者によると、若者が社会に占める率と革命発生率には比例するそうです。フランス革命の頃も、ナチスの頃も、60年代の学生運動の頃もみな、若者の割合が高い社会だったそうです。
 今後の日本社会は一層、高齢化が進みます。ですので、これからの社会のイメージは明治時代や高度成長期の元気な社会ではなく、江戸中期の安定した社会だと予想します。戦国文化には戦国文化のよさがありました。江戸文化にも江戸文化のよさがあります。社会も同じで、安定期には安定期のよさがあるでしょう。とかく少子高齢化というと悪いイメージをもたれがちですが、そんなにすてたものでもないはずです。それから、長期の経済成長を決定する要因は人口だけではありません。むしろ技術進歩こそが重要です。技術進歩が経済成長を促す安定した社会が、これから望まれる社会だと考えます。

2007年12月10日 (月)

7-10 テロリズム

 21世紀は01年9月11日のアメリカ同時多発テロで幕を開けました。その5年前にハーバード大学のサミュエル・ハンチントンが指摘したように、冷戦後の世界では文明の衝突が顕著になりつつあります。文明や宗教の違いは地域での対立や紛争を引き起こしがちですが、冷戦時のように大国間の対立が鮮明である場合は、地域での対立や紛争は押さえつけられ、表面化しません。したがって、押さえつけられていた圧力がなくなれば、地域での対立や紛争はあらわになります。歴史的には、大国の勢力が弱まった時のバルカン半島がその典型です。
 宗教対立などの火種は、それを利用する外国の力が加わると、より大きくなります。アメリカ同時多発テロを起こしたアルカイダは、イスラム急進主義の反米組織です。しかし、もともとはソ連によるアフガニスタン侵攻への対抗勢力として、アメリカCIAによって支援された組織でした。その後、アルカイダがアメリカと対立するようになると、今度はアフガニスタン政権がアルカイダの後ろ盾になりました。その後ろ盾になったアフガニスタン政権が、01年のアメリカによるアフガニスタン侵攻により打倒されたターリバーンでした。このターリバーンも隣国パキスタンの支援によって勢力を拡大し、政権を獲得しました。つまり、テロ組織や急進政権はそれを支援する外国の援助によって大きくなる構造です。
 自爆テロや武力闘争などが日常的に頻発してきたのが中東パレスチナです。第二次大戦後にイスラエルが独立し、パレスチナ難民が発生してから半世紀以上にわたって紛争が続いています。武力闘争を掲げたパレスチナ解放機構とイスラエルによる、まさに復讐が復讐を呼ぶ負の連鎖が続きました。しかし、四次にわたる中東戦争が行われたパレスチナ問題も93年にイスラエルとパレスチナ解放機構が合意に達して、パレスチナ解放機構は武力闘争を放棄しました。背景には、湾岸戦争でパレスチナ解放機構がイラクのフセイン政権に近いスタンスをとったことがあります。従来、パレスチナ解放機構を支援したアラブ諸国がこれを機会にパレスチナ解放機構への支援を減らしたため、パレスチナ解放機構は財政的に行き詰まり、イスラエルとの合意に向かったとの分析があります。
 アイルランドでの武力闘争はIRAという組織によって繰り返されました。IRAの歴史はテロの歴史であるとともに、分派の歴史でもあります。武力闘争が続き、多くの犠牲者が生じた後に、それぞれの時代のIRA多数派が停戦を認めます。しかし、IRA内部の急進派がそれに不満を持ち、離脱して組織を拡大するという歴史です。IRAも時代によって、ナチスやソ連やリビアなどの外国援助を受けてきたと言われています。急進派が時を経て、勢力を拡大するのは、政治が問題を解決できず、過激な活動が民衆から支持を得るからです。しかし、そのIRAも05年に武装解除を発表しました。これは90年代からの度重なる政治交渉が実を結んだためです。紛争の火種を根本的になくすことは極めてむずかしいことですが、火種を拡大させず、武力闘争にまで至らない状態を維持することが国際政治には求められます。
 パレスチナではパレスチナ解放機構が武力闘争を放棄しましたが、かわってハマースがテロを続けています。このハマースはイスラム原理主義を掲げる過激な組織であり、近年では貧困層の支持を背景に、急速に議会でも勢力を拡大しています。理由は、ハマースが医療や教育などの行政サービスを自治政府に代わって提供しているからです。政治が社会問題を解決できないと、急進派や過激派が台頭することになります。第二次大戦前の日本も同じ構図でした。本題に戻りますと、文明や宗教の違いは対立や紛争を引き起こしがちですが、決して異なる文明や宗教が併存出来ない訳ではないでしょう。現に、イスラエル建国以前は対立がありながらも、パレスチナでアラブ人とユダヤ人は併存していました。
 アメリカ同時多発テロで証明されたように、大都市はテロに非常に脆弱です。文明や宗教の対立は止むことはないので、今後もテロリストは大都市を標的にしたテロを試みようとするでしょう。これに対しては、テロを支援する国や勢力に圧力をかけたり、武力闘争を試みる組織と地道に交渉を続けたりするしか解決方法はありません。理想とされる安定した秩序は簡単には訪れません。反対に、勝手な理想を簡単に手にしたいと思うのがテロリストです。
 現実の世界は、天国でも地獄でもありません。地道に、すこしでも良い状態に近づけようとするしか方法はありません。

2007年12月 9日 (日)

7-9 戦争と技術

 インターネットの原型は、アーパネットというアメリカ国防総省によるコンピューター・ネットワークです。アーパネットの通信方式、つまりインターネットの通信方式は、1960年代に提唱された通信方式でして、通信経路を弾力的に変更できるものです。これは、ソ連の核攻撃によって特定の通信施設が破壊されても、破壊された施設を迂回して、通信を行うことができるよう考え出されたものです。核戦争への備えが、まわりまわって現在のインターネット網につながっています。
 近年、カーナビによって、地図を開かずに知らない目的地に着くことができるようになりましたが、カーナビはGPSという衛星を使った米軍の測位システムを利用して動いています。アメリカは政府主導の研究開発が少ない国との評価がありますが、これは軍事の研究開発を除いた場合です。アメリカは毎年、巨額の研究開発を軍の予算でまかなっており、その成果がインターネットのように民間技術に転用される仕組みになっています。日本も制度として見習う余地があるでしょう。
 コンピュータの進歩も軍事と強く関係しています。弾道計算に利用するために、ENIACというコンピュータが1946年に作られました。ENIACは、それまでのコンピュータの数千倍の計算速度でして、その開発予算のほとんどはアメリカ陸軍によるものでした。それから、衛星などを打ち上げるロケットも、戦争がきっかけとなって開発が進みました。現在のような液体燃料ロケットは、第二次大戦中にナチスによって実用化されたものです。
 第一次大戦を契機に普及したものに、腕時計とバーバリーのコートがあります。第一次大戦前は懐中時計が主流でしたが、戦場ではいちいち取り出す必要がない腕時計が重宝がられ、それを契機に腕時計が一気に普及しました。バーバリーのトレンチコートはイギリスの陸軍、海軍に数十万着が調達されたことにより、これまた一気に広まることになりました。これらは、技術だけでなく生活スタイルにも戦争は大きな影響を与えることの典型です。
 近代国家の軍隊は職業軍人によるだけでなく、志願兵や徴兵された一般人から構成されます。軍隊は時間に従い、大集団で行動する組織です。近代に入る前の農村では、洋の東西を問わず、おおよその時間感覚で少人数により働くことが一般的でした。それが近代以降は、会社や工場では正確な時間に従い、規律正しく集団で働くことが一般的になりました。軍隊を経験した者は、会社や工場という近代的な組織にスムーズに溶け込む術を結果として見につけました。学校とともに、近代的な労働者を育む役割を軍隊が果たしました。
 戦争は人的にも物的にも社会にマイナスの効果を及ぼします。他方、技術進歩を促したり、ライフスタイルを向上させたりするプラスの結果も残します。軍隊もある歴史段階では、社会の近代化を促す役割を果たしました。戦争にしろ、軍隊にしろ、よいイメージは少ないですが、社会へのプラスの副次的効果は決して小さくありません。

2007年12月 8日 (土)

7-8 植民地

 軍事力が世界のバランスを決めてきました。そして、世界の覇権は数百年単位で移り変わってきました。I.ウォーラステインなどによると、ある時代の先進的地域の周辺部分にある国が、次の時代の先進的地域になることによって、世界の覇権は移動します。
 15、16世紀はスペインとポルトガルの時代でした。ヨーロッパ諸国の中で、スペインとポルトガルは先陣を切って、海外領土獲得に乗り出しました。ヨーロッパ以外の世界はスペインとポルトガルで分割して統治するとの条約がローマ教皇によって16世紀前半までに決められたほどです。中南米でスペイン語が話され、ブラジルでポルトガル語が話されるのは、この時の影響です。条約を結ぶにあたって、アジアの国々の主権も中南米やアフリカの人々の存在も全く眼中にないのは、当時のヨーロッパの状況をよく表しています。
 17、18世紀は代わってオランダ、イギリス、フランスが覇を唱えました。この時期の特徴は、各国ともに東インド会社などの国策会社を作って、植民地経営にあたったことです。時を経るごとに、海軍力を中心としたイギリスの軍事力が他国を圧倒するようになります。19世紀は大英帝国が世界を制覇しました。全世界の陸地の四割を支配する、太陽の沈まない国でした。当然、支配された住民はイギリスに反感を抱きますので、大英帝国の存在自体が、紛争の尽きない理由でした。今から振り返ると、19世紀のイギリスは野蛮というのがぴったりな国情でした。中国(清)との戦争は、清のアヘン取締に端を発するものです。相手国に麻薬を売りつけて、その取締に難癖つけるなんて現代では考えらないでしょう。
 明治維新とは、そんな帝国主義を時代背景にしています。明治維新は日本にとって近代の幕開けであると同時に、列強に植民地にされないための政変でした。その危機感と優越感とが同居して、日本はアジアでの植民地支配に乗り出しました。安全保障面でプラスであっても、植民地経営には大規模な資本投下が必要ですので、投資回収は容易ではありません。現に日本の植民地経営もトータルでは赤字だったとの指摘があります。一般的にいっても、植民地統治は困難であり、現地人を大量虐殺するといった非人道的なことでも徹底しないかぎり、植民地経営はそれほど旨みのある事業ではありませんでした。(不幸なことに、これを行った欧米諸国がありました。)見方によっては、植民地経営がその後の発展にプラスになった側面はあったかもしれませんが、支配されることは誰にとっても気持ちのよいものではありません。あらためてそんな風な発言をするのは、政治的には不適切以外の何ものでもありません。
 第二次大戦後、世界の多くの植民地は独立しました。世界は平等になったかの様相でしたが、実質的には米ソ両大国にコントロールされる衛星国でした。冷戦は二つの覇権国がバランスした国際秩序でした。従来、ヨーロッパなどでは多くの勢力がバランスする国際秩序がしばしばみられました。21世紀はアメリカに覇権が集約されつつある歴史的には珍しいモデルです。それがゆえに大英帝国同様に、アメリカ支配への反感が顕在化するのだと思います。

2007年12月 7日 (金)

7-7 独裁小国

 キューバは1959年の革命で現在の政体になりました。半世紀近くにわたって、実質的な独裁者として君臨してきたのがカストロ国家評議会議長です。カストロは、チェ・ゲバラなどとともに革命以前のアメリカ傀儡政権を倒して、権力を手中におさめました。革命の翌々年にアメリカと国交断絶をし、その次の年に先述したキューバ危機がおきました。革命以来、一貫した政治スタンスは反米です。冷戦期には米ソ対立を利用し、冷戦後は中南米諸国と国交を回復するなどして、したたかに国際政治を渡ってきました。
 カストロの半世紀近くには及ばないにしろ、40年近くにわたってリビアで君臨してきたのがカダフィです。カダフィはずっと名目上の公職を離れた形ですが、1969年に起きた革命の指導者として、実質的に独裁体制を続けてきました。リビアの政治スタンスは、反欧米であり、加えて反イスラエルです。伝統的なアラブ主義です。ハイジャックや飛行機爆破事件など数々のテロに、リビアは背後で関わっていたと国際社会では認識されています。80年代にはアメリカはカダフィ宅を空爆するほど、両国の関係は緊張したものでした。
 キューバはキューバ危機に直面しましたし、リビアはアメリカによる空爆に直面しました。両国ともに政体の存続が難しい状況を幾度か経験してきましたが、いまだに独裁を保っています。他方、東欧のソ連傀儡政権や中南米のアメリカ傀儡政権は、冷戦が終わると政権の命運が尽きました。国際環境が変化して、後ろ盾の大国が政治姿勢を変えれば、傀儡政権は存続出来ません。キューバやリビアのように、傀儡政権でなく、しかも革命を起こしたカリスマ指導者が牛耳る政権は、案外と強固な基盤を有しています。一党独裁政権であっても、ソ連や中国のような大国では政権内の権力闘争が働き、個人独裁への反動が起きるものでした。しかし、独裁小国は小国であるがゆえに、国家機構が小さく政権内の権力闘争は未然に防止される傾向にあります。したがって、カリスマ指導者の死亡による政権交替期くらいしか政体は本質的危機に直面しません。
 ただし、小国はしょせん小国ですので、覇権国家が本気になって軍事介入すれば、その命運は尽きます。イラクのフセイン政権がその典型でした。イラクによるクウェート侵攻と湾岸戦争後の反米スタンスが、イラク戦争につながり、フセイン政権は打倒されました。イラクがキューバやクウェートと違ったのは、アメリカと真正面から事を構えたことです。大国に軍事介入の口実を与えてしまうことは小国にとっては致命的ミスです。イラク戦争後、リビアは核兵器の開発を放棄し、国際的な査察団の受け入れを行いました。同様に、キューバもアメリカとの関係改善を模索しています。
 ところで、北朝鮮は傀儡でない独裁政権により運営される小国です。しかも、革命指導者の交替が行われており、権力異動期の政治混乱も当分期待できません。経済事情が悪かったとしても意外に政権基盤は安定しているでしょう。キューバやリビアがそうであったように、軍事的圧力をかけることが、北朝鮮に対する最も効果的な基本政策であると考えます。というか、軍事的圧力なしでは、ほとんどの交渉は実を結ばないでしょう。

2007年12月 6日 (木)

7-6 キューバ危機

 62年夏にソ連の核ミサイルがキューバに配備されました。キューバはアメリカのフロリダ半島からわずか150kmに位置します。10月になるとアメリカを射程圏内とする核ミサイルの配備が明白になりました。ソ連船の海上封鎖をした後、10月22日にケネディ大統領は国民に向けてテレビ演説をし、アメリカ国内の核ミサイルを発射準備態勢にしました。これに対抗して、ソ連も核ミサイルの発射準備に入りました。米ソの交渉が続く中、アメリカの偵察機がソ連に撃墜されるなど緊張はピークに達しました。幸いにも、10月28日にソ連のフルシチョフ書記長がキューバからのミサイル撤去の発表をし、危機は回避されました。世界はあわや核戦争に突入するところでした。
 キューバ危機の原因は、ソ連がアメリカの反応を考慮せずに、極秘裏に核ミサイル基地建設を進めようとしたことです。アメリカが実力を行使してまでも反対することはないだろうとのソ連の誤った判断は、ソ連のみならず世界を危機に陥れました。対立する双方が意図して戦争に突入することもありますが、情報不足が誤解を生み、その誤解がまた誤解を招いて、戦争が開始されることが歴史では往々にして起こります。キューバ危機はその典型でした。キューバ危機を教訓に、アメリカのホワイトハウスとソ連のクレムリンをつなぐ直通回線(ホットライン)が設けられました。双方の戦略と装備がお互いに明らかになっていれば、戦う前からおおよその結果を予想できるため、武力衝突を回避する可能性は高まります。ですから、軍事情報の開示は国際秩序安定には不可欠です。アメリカなどが中国に対して、予算規模など軍事情報の開示を迫るのはそのような理由からです。
 一見矛盾したようですが、軍人は戦争を嫌います。なぜなら、戦争によって必ず自軍は人的にも物的にも損害を被り、せっかく整備した軍事力が低下するからです。圧勝できるほどの力の差がないかぎり、軍は戦争を望みません。戦争を好むのは、軍でなく、軍の周りにいる人々です。防衛の基本は、味方の損害を最小にして、敵の戦争意志をくじくことです。したがって、パイロットが生き残る可能性の全くない特攻などは、合理的な軍事選択ではありません。
 軍が人員や装備を充実させるのは、抑止力を上げて、戦争を回避しようとの判断からです。皮肉にも、米ソが地球全体を破壊し尽くせる核兵器を双方で配備しているのも、小さな合理性を積み重ねた結果です。このような部分で最適、全体で矛盾を合成の誤謬と呼びます。ただし、第三次世界大戦が生じていないのは、相互の抑止力がおおよそ均衡しているとのイメージによる成果です。一方が核戦争を仕掛けたら、反撃により双方ともに破滅的損害を被るという状態を相互確証破壊と言います。20世紀後半の冷戦期間は、世界はこの相互確証破壊のもとで勢力均衡が図られてきました。地域紛争は頻発しましたが、キューバ危機以降は冷たい戦争のまま世界秩序は保たれました。
 20世紀末の冷戦終了は世界大戦の危機を減少させました。かわって21世紀は、核兵器の拡散やテロの増大という新たな危機に世界が直面しています。この新しい危機を減ずる
有効な秩序は、まだ出来上がっていません。

2007年12月 5日 (水)

7−5 核兵器

 地球規模でみれば、第二次大戦も第一次大戦と同じく、主たる戦場はヨーロパでした。そのため、戦争での被害もヨーロッパの方が全体として大きいものでした。ただ、核兵器が使用されたという歴史的な大惨事はアジアの戦場、日本でおきました。第二次大戦とは核兵器が使用された史上唯一の戦争です。核兵器の威力は通常兵器と比べものにならないくらいに大きく、広島に投下された原爆は、東京大空襲で300機を超えるB-29から投下された全爆弾の十倍近いエネルギーでした。広島では十数万人の一般市民が亡くなり、まさしく一瞬にして焼け野原になりました。
 昭和20年8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾は落とされました。日本への原爆投下は既に前年9月にアメリカ大統領とイギリス首相とで申し合わされていました。原爆を投下するにあたっては、爆風の効果が分かるような都市、既に空爆で破壊されていない都市、市街地に居住地を含む都市などが条件とされました。広島、小倉、長崎が最終投下目標とされ、事前警告は行わないことが決められました。8月9日の第一目標は小倉でしたが、爆撃機が目標確認を三度失敗し、長崎に変更になりました。実際の投下までには、日本の約30都市で50回におよぶ周到な投下訓練が行われていました。広島に落とされた原爆はウランを用いたもの、長崎に落とされた原爆はプルトニウムを用いたものでした。別方式の爆弾を試すことが初めから計画されていました。長崎に原爆を投下した爆撃機は、あかたも実験のように爆風の圧力や気温を計測するとともに、爆発の様子をカラーフィルムに記録しました。
 二発の原爆により、数十万人が亡くなられ、また多くの人々が放射線症に長期間苦しめられました。大量の一般市民を無差別に殺し、長期間にわたって苦しめたのが広島、長崎の原爆です。同時に、広島、長崎以降、その破壊力のすさまじさから核兵器は国際政治のジョーカーになりました。核兵器を保有した国は軍事力と政治的発言力が一気に強まることになったのです。そのため、アメリカに続き、49年にソ連が、52年にイギリスが、60年にフランスが、64年に中国が核保有国となりました。そして、70年に核拡散防止条約が発効しました。この条約により、67年1月までに核兵器を保有していなかった国は核兵器の保有が禁止されることになりました。他方、保有国は核兵器の削減をする建前となりました。
 上記の核保有五カ国は国連安全保障理事会の常任理事国です。つまり、第二次大戦の戦勝国による秩序を再確認したのが核拡散防止条約です。確かに不平等ではありますが、核兵器は極めて非人道的な兵器であり、その管理こそが国際社会の安全につながります。したがって、07年では百九十を超える国がこの条約に加盟しています。しかし、現実には74年にインドが、98年にバングラデッシュが核保有国になりました。おそらく核兵器が地球上からなくなることはないでしょう。であるなら実際には、今よりも悪くしない、少しは良くするという取組みしかなかろうと思います。その意味で、核拡散防止条約の枠組みは現実的なものでしょう。

2007年12月 4日 (火)

7-4 二つの世界大戦

 国の歴史とは戦争の歴史でもあります。国と国との関係が悪化した場合は、話し合いで解決するか、武力で解決するかのどちらかです。武力で解決する場合が戦争ですので、戦争は広い意味での外交の一手段と考えられます。17世紀頃までの戦争は国家間の争いというよりも、王様と王様の戦争であり、貴族と貴族の戦闘でした。傭兵が盛んだった頃は、紛争の種が尽きないように、相手国を滅ぼすような戦闘を傭兵はほとんどしませんでした。当時の戦争は、国家間の紛争解決の一手段という色彩が濃いものでした。
 それが、18世紀に現在のような国民国家が成立すると様相が変わりました。戦争が始まると、一般の国民が徴兵され、産業が戦争遂行に協力せざるをえないようになりました。国民国家と国民国家が総力を投じて闘う姿に変貌しました。第一次大戦はそれが誰の目にも明らかになった最初の戦争でした。第一次大戦はオーストリア・ハンガリー帝国皇太子の暗殺に端を発します。戦争は偶然で始まることがありますが、背後には必然があるものです。皇太子暗殺を契機に、ヨーロッパ各国は領土的思惑や同盟関係維持から二つの陣営に別れ、武力で外交問題を決着し、新しい勢力均衡を築こうとしました。関係各国が半年程度で終了すると思っていた戦争は、結果として四年の歳月が費やされました。機関銃をはじめとする火力の技術的向上により、長大な塹壕が築かれ、戦闘は膠着しました。また、人員や物資を総動員する戦争形態になった結果、国力が尽き、戦う意志がなくなるまで勝敗は決しないことになりました。チャーチルの言葉をかりれば、「第一次大戦以降、戦場から騎士道精神が失われ、戦場は単なる大量殺戮の場と化した。」とのことです。
 第一次大戦では一千万人近い犠牲者が出ました。これが第二次大戦になると数千万の犠牲者が出たといわれています。飛行機や戦車は第一次大戦で出現しましたが、本格的に使われたのは第二次大戦からです。ヨーロッパでの戦争の遠因は第一次大戦の戦後処理失敗です。講話条件は敗戦国ドイツが受け入れるには厳しすぎる内容でした。アジアでの原因は日中戦争の長期化です。八方ふさがりを破ろうとした日本の攻勢が戦争の引き金となりました。結果はドイツも日本も散々の敗北でした。特に日本は開戦当初こそ健闘したものの、途中からは全くアメリカなどに歯がたちませんでした。理由は経済力の圧倒的な差です。アメリカだけと比較しても、GDPで1/5、鉄鋼生産で1/10では長期化すれば物理的に勝ち目がありません。精神主義は合理的行為である戦争には役に立ちません。逆に、物資不足が精神主義に走らせた面はあったでしょう。他方、勝利したイギリスやフランスも国土が荒廃し、その後、国力は低下に向かいました。戦場になった国々に取っては、第二次大戦は勝った側も負けた側も大変な損失でした。人道的には戦争はしない方がよいに決まっています。また、国家としても大戦争のリスクは大きすぎます。国の運命をかける戦争を避けることが外交の究極目標でしょう。戦争が外交の一手段といえるのは、部分的である場合と結末をコントロールできる場合だけだと考えます。

2007年12月 3日 (月)

7-3 自衛隊

 自衛隊の前身は保安隊です。その前が警察予備隊でして、これが自衛隊の源です。警察予備隊は連合国の占領下、昭和25年に設けられました。朝鮮戦争がおこり、それまで日本で占領政策を担ってきた米軍が不在になったために設けられた組織です。占領下では、日本政府は当初、一切の軍備を禁止し、自衛戦争も放棄していたので、警察力を補うとの名目で警察予備隊が設立されました。しかし、実質はGHQの再軍備路線を踏まえた軍隊であり、今に続く建前主義が最初から取られていました。
 保安隊を規定した保安庁法では、警察力を補うとの文言がなくなり、その次の自衛隊法ではじめて、わが国を防衛することが主たる任務とされました。憲法第9条第2項では戦力不保持を定めていますが、政府の公式見解では、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは憲法上認められるとされています。しかし、大陸間弾道ミサイルや長距離戦略爆撃機や攻撃型空母などの攻撃的兵器を自衛隊が保有することは、憲法上許されないとの見解です。また、他国に加えられた武力攻撃を実力によって阻止する集団的自衛権も従来の解釈では認められないそうです。
 しかしながら、これらは単なる国内の議論に過ぎないでしょう。自衛隊は24万人からなり、ドイツ、イギリスなどヨーロッパ各国と同じような人員規模です。軍事予算規模では常に世界で五指に入ってきました。F-15戦闘機やイージス艦などの高性能な装備も相当程度、保有しています。他国から見れば、立派な軍隊です。ただし、幸いにも戦火を交える状況には直面しなかったので、自衛隊に実戦経験はありません。したがって、自衛隊は実践的でないとの指摘がありますが、一定の抑止力を持つことは間違いないでしょう。なお、中東などと違い、東アジアは朝鮮戦争以後、半世紀にわたって大規模な戦闘がないので、中国、北朝鮮、韓国、台湾なども実戦経験が乏しい軍隊になっています。
 自衛隊は攻撃的兵器を保有していませんし、以前は空中給油装置をわざわざ取り外すほど活動範囲を狭めることに留意してきました。これが可能であるのも、日本に米軍が駐留しているからです。日米安全保障条約ではアメリカは日本を防衛することになっています。自衛隊の攻撃力は限定されていても、5千人規模のアメリカ海軍、1万5千人規模のアメリカ空軍とアメリカ海兵隊の存在によって、日本列島総体としては十分な攻撃力を有してきました。政府見解に関わらず、他国から見れば、日本列島が重武装されていると映ることでしょう。
 自衛隊は現実が必要とした存在です。しかし、憲法が障壁となったために、政府は様々な論理を駆使して、つじつまあわせをしてきました。これは今も続く、戦後日本の特徴です。実のところ、国民にとっても最も都合が良い状況だったかもしれません。しかし、軍事的脅威が顕在化しつつある現在、つじつまあわせでは事態は済まなくなりつつあります。自衛隊を建前で縛ることは徐々に直すべきです。

2007年12月 2日 (日)

7-2 米軍と日米安保

 軍事IT革命により、質の面で米軍は他国の追随を許さない状況です。同様に量の面でも米軍は抜きん出た存在です。約140万人の兵力は中国に次ぐ第二位に位置しますし、軍事費に至っては世界全体の軍事費の約半分を占める規模です。また、100カ国以上に700カ所におよぶ基地を展開しています。近年ではロシアに脅威を感じる東欧諸国が積極的に米軍基地受け入れを進めています。07年現在、イラクを含め、30万人以上がアメリカ本土以外に駐留しています。一万人以上が駐留するのは、イラク、ドイツ、日本、韓国、イタリア、イギリスなどです。戦時又は占領時に建設した基地が平時においても、引き続き使用されている格好です。第二次大戦後のアメリカは、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン攻撃、イラク戦争など、常に大規模な戦闘を続けてきました。というより、建国以来、アメリカはずっと戦っている印象です。
 アメリカは安全保障を強固にするために、ソ連との冷戦期に自由主義各国と安全保障条約を結んできました。最も代表的なものが、北大西洋条約機構(NATO)です。ちなみに、NATO初代事務総長は「アメリカを引き込み、ロシアを閉め出し、ドイツを押さえ込む」と言ったそうです。ヨーロッパの勢力均衡策は今に続く伝統でしょう。その後に結ばれたのが、太平洋での日本、韓国、オーストラリアとアメリカとの条約関係です。アメリカ本国と大西洋を介して隣り合うヨーロッパと、太平洋を介して隣り合う東アジアに、安全保障の重点を置くのがアメリカの基本戦略でした。その上で、ブッシュ政権になってアフガニスタンなどの西アジアと、イラクなどの中東とが重視されるようになりました。今やアメリカは、最盛期の大英帝国と同じくらいに世界を軍事的に圧倒しています。さらに、その国力からして、アメリカの軍事的覇権は今後も数十年単位で続きそうです。
 日米安全保障条約はアメリカの軍事戦略上の重要な条約です。ですので、生活や環境の点から日本が問題視しても、アメリカの軍事戦略に合致していなければ、主張は受け入れられません。普天間をはじめとする飛行場問題や、横須賀をはじめとする原子力空母の入港問題で、どんな住民投票の結果が出ても、残念ながら日米安保体制には影響を及ぼしません。
 また、日米安全保障条約に基づく、日米地位協定という両国の取り決めがあります。外務省に言わせれば国際的慣行に合致している内容だそうですが、裁判権や身柄引渡しでアメリカ側に有利な取決めとなっています。暴行事件などが起きるたびに、沖縄をはじめとする基地周辺地域では地位協定改正の声があがりますが、米軍が見直しに応じる気配はありません。そもそも、日米安全保障条約はサンフランシスコ講和条約で日本の占領が終わった時に結ばれた条約です。条約締結により占領軍からイギリス軍などが撤収し、アメリカ軍のみが引き続き日本に駐留することとなりました。戦勝国アメリカの軍隊が敗戦国日本に駐留し、第二次世界大戦後の国際秩序を維持するのが、日米安全保障条約の横顔です。現在の国際秩序の根幹が揺るがない限り、日米安全保障条約の本質が変化する可能性は低いでしょう。

2007年12月 1日 (土)

7-1 軍事IT革命

 91年の湾岸戦争で米軍は強大な軍事力を世界に示しました。そして、03年のイラク戦争では更に圧倒的な軍事力を世界に示しました。湾岸戦争では一ヶ月におよぶ空爆の後に地上戦が開始されましたが、イラク戦争では驚くべきことに開戦後一日で地上戦が開始されました。地上戦開始が劇的に早まった理由は、空爆やミサイルで重要拠点を正確に攻撃し、イラク軍の指揮命令系統を速やかに破壊したからです。湾岸戦争とイラク戦争の12年の間に、カーナビで利用されているGPSを使った誘導爆撃が実戦で使用可能になり、空爆とミサイルの命中精度が飛躍的に上昇したことによります。
 空間面だけでなく時間面でも大きな技術進歩が生じました。湾岸戦争ではそれ以前と同様に、作戦計画を立て、詳細な作戦命令書を作成するプロセスでした。前線には、司令部が承認した個別の作戦命令をファックスなどで送信していました。かたやイラク戦争では、司令部が作戦遂行中の攻撃機を常に把握し、航行中の攻撃機へ衛星通信を介して個別の作戦を直接送信しました。これによって、従来、数日を必要としていた作戦変更がイラク戦争では数時間に短縮されたそうです。また、湾岸戦争ではいちいち司令部を通じて入手していた偵察衛星の画像が、イラク戦争では前線の地上部隊が司令部を介さずに直接入手できるようになりました。そのため、前線がリアルタイムに周辺状況を把握し、状況に応じて作戦を遂行するが可能となりました。効率的に兵力を運用したことなどから、投入された兵力は湾岸戦争の66万人に対して、イラク戦争では26万人にとどまりました。
 軍事上の革命をRMA(Revolution in Military Affairs) と呼びますが、現在進んでいるITを利用したRMAを情報RMAや軍事IT革命と呼んだりします。GPS、無人偵察機、衛星回線、大規模データベース、専用デバイスなどによるネットワーク化、IT化を通じて軍事部門は歴史的変化のまっただ中にあります。この分野において、他国の追随を全く許さないのが米軍です。特にブッシュ政権では、トランスフォーメーション(変革)というスローガンのもと軍事IT革命は強力に推進されました。軍事部門のIT化には莫大な財政力と最先端の技術力が必要になります。世界GDPの三割を占め、ITで世界をリードするアメリカだからこそ、軍事IT革命が現実のものとなっています。軍事的脅威は、冷戦の終了により大国に起因するものは薄らぎましたが、9.11同時多発テロをはじめとする不特定のものは、むしろ拡散している状況にあります。よって、米軍は機動的な兵力展開が必要であり、軍事IT革命による効率的な部隊運用が求められています。さらに、ITのよる戦争の無人化は自軍犠牲者の減少に資する面もあり、世論対策としても重要です。
 軍事IT革命はこれまでのIT革命で現実化した最も大きな成果であると評価する声があります。インターネットの起源は軍事部門でした。インターネットが軍事部門から民生部門に転換されたように、今後は軍事IT革命の成果が運輸や物流など民生部門で応用されるでしょう。そして、民生用として発達した技術が更に軍事用にフィードバックされる構造だと思います。

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »