5−8 死刑と感情
死刑は日本では最も重い刑罰です。極刑とも呼ばれます。殺人罪や現住建造物等放火罪など非常に重い罪に科されます。日本での死刑執行方法は絞首です。絞首以外の方法としてアメリカでは致死薬注射や電気椅子がありますし、中国では銃殺も行われます。日本の死刑は非公開で極めて秘密性が高いですが、中国などでは公開処刑が行われることがあります。ちなみに世界の死刑執行数の九割は中国一国で占められます。
世界は、死刑を廃止している国、死刑を戦時の敵前逃亡等への適用にのみ限定している国、制度はあるが死刑を実施していない国、現に死刑を執行している国など様々です。歴史的には、近代以前はヨーロッパを含む広い地域で、必ずしも重くない罪に対してまで死刑は課されていました。その後、懲役刑が広がると、死刑は重い罪に対する刑罰と位置づけられるようになり、ヨーロッパでは廃止が傾向となりました。ポルトガルは日本で大政奉還が行われた年(1867年)に早くも死刑を廃止しました。現在のEUは死刑廃止を加盟条件にしています。ヨーロッパでは宗教感情などから、死刑は非人道的と認識されているようです。世界的にも1966年に国連総会で採択された国際人権規約では、死刑廃止に関する選択議定書が盛り込まれています。
死刑制度の存続を主張する側は、犯罪予定者への威嚇による一般的な犯罪防止と、凶悪な犯罪者を社会から排除することがもたらす犯罪防止を根拠にあげます。しかし、死刑反対派によれば死刑の犯罪抑止効果は明らかでないそうです。日本の世論調査では、死刑制度の存続支持が増加する傾向にあります。質問形式で誤差はありますが、近年では八割が死刑存続支持であり、死刑廃止は一割以下と分析されています。肉親を殺されたら、犯人を殺してやりたいと思うのが自然の情であり、江戸時代に制度として認められていた敵討ちが今は許されないのなら、国が代わって死刑執行して欲しいとの潜在的社会意識がある気がします。国家が人を殺して良いかどうかや、そもそも人は人を殺してよいのかといった根源的な問題が問われる以前に、仇討ちしたいとの素朴な感情が未だに日本社会に強く残っているのではないでしょうか。
実際に死刑執行される数は、ここ30年は一桁で推移しています。90年代初期は一件も執行されない年が続きました。これは、死刑執行に関する最終決裁権者である法務大臣が文書に署名をしなかったためです。宗教的信条などが原因で署名しなかったのでしょうが、であるなら初めから大臣に就任しなければ良いことです。宗教的理由による良心的兵役拒否という制度が世界にはありますが、これは徴兵が義務付けられているからこそ認められる制度です。大臣就任は義務でないのですから、良心的拒否は筋違いでしょう。
死刑制度は法意識や文化と強く関係するものです。世界的には死刑制度廃止が傾向ですが、凶悪な犯罪がしばしば起き、繰返し報道される中では、国民感情を重視するなら日本では当分の間は死刑制度が続くことになるでしょう。
« 5−7 英米法と大陸法 | トップページ | 5−9 憲法9条と日米安保条約 »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 10−8 再構築(2008.01.11)
- 10−7 犯罪(2008.01.10)
- 10−6 格差とメディア(2008.01.09)
- 10−5 自殺率(2008.01.08)
- 10−4 格差社会(2008.01.07)
