5−1 法意識と法制度
法は社会の強制的なルールです。いつの時代のどこの国でも何らかの法はあります。日本では、古くは聖徳太子が定めたとされる十七条憲法が有名です。十七条憲法は、貴族などに対して道徳的なルールを定めたものであり、儒教や仏教の教えを取り入れたと言われています。鎌倉時代に定められた御成敗式目(貞永式目)は、武士の習慣を法律にしたものです。このような道徳や習慣と密接な法律は、社会でスムーズに運用されます。ちなみに、江戸時代には御成敗式目は習字の手本として普及していたそうです。これなら、知らず知らずに法律が社会に浸透することになります。そんな影響もあり、現在の日本社会にも武家社会の法意識が残っているようです。
日本は明治になって、西洋の法制度を輸入しました。ですから、現在の法制度は日本の伝統や慣習に基づかない部分がたくさんあります。法律を作ること(立法)、法律を運用すること(行政)、法律により裁くこと(司法)の三権を分立することも輸入品です。三権分立と異なり、テレビ番組の「遠山の金さん」は町奉行として江戸の行政も司法も担います。同じくテレビ番組の「水戸黄門」はフィクションではありますが、先の副将軍として悪者を懲らしめます。先の副将軍というのは、権威はあるでしょうが、権限はないはずです。権限なきものが何となく現れて、悪事を正すのは三権分立のルールからは外れるでしょう。でも、現在の政治でも同じような感じで、権限に基づかずに、権威で事態が収拾されることがあります。
しばしば、日本の政治にはキングメーカーと呼ばれる人が出てきます。退任後の田中元総理はそうでしたし、金丸元副総理も同様でした。政治・行政のトップたる総理大臣よりも力のある人が、事実上存在しました。キングメーカーは水戸黄門と同じで、法律上の権限があるわけではありません。また、やっていることは正式の役職とも関係ないので直接にストップをかける方法もありません。さかのぼると、明治・大正時代でも元老が一種のキングメーカーとして、総理大臣の選定に深く関与してきました。これに対して、アメリカの大統領やイギリスの首相はまぎれもないトップです。
通常、デモクラシー(民主主義)では、人々が政治や行政を担う人を選ぶ形になっています。キングメーカーが為政者を選ぶのは本来のデモクラシーではありません。制度が本来の趣旨から外れた場合、歴史や慣習に照らして、在るべき姿を回復するのが理想的です。しかし、日本ではデモクラシーは輸入品であり、歴史や慣習に照らしても、在るべき姿が浮かび上がりません。他方、テレビで流れている「遠山の金さん」や「水戸黄門」の影響もあり、日本的な法意識は連綿として続いています。
輸入して高々百五十年ですので、デモクラシーが社会にすっかり根付いていないのは仕方がない面もあります。したがって、法制度と法意識がぴったり一致していないのであれば、そのずれを認識した上で、現実的に法制度を運用していくことが必要になります。
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