4-4 地方への分権
日本の行政は国、都道府県、市町村による三層構造になっています。ただし、国が基本的な仕組みを決める中央集権です。フランスなどと同じです。中央集権の対極にあるのが連邦制です。アメリカやドイツが有名でして、国は州の集まりです。国の権限は外交や通貨発行など全国的なものに限定されており、多くの分野で州が権限を持っています。各州は州内の法律だけでなく、州の憲法も定めます。日本でしばしば耳にする地方分権は、中央集権の枠組みの中で連邦制のように地方の独立性を高めようというものです。
日本は明治になって国の近代化を始めました。その前の江戸時代は藩の独立性が高く、日本は一種の連邦国家でした。江戸幕府を倒した明治政府は、強力な中央集権により、急速な近代化を図りました。戦後も中央集権により復興と国土開発が進められました。国全体として明確な目標がある間は、中央集権に大きな疑問は生じないものです。連邦国家のアメリカですら、大恐慌からの回復や戦争の間には中央政府の力が強まりました。しかし、国家目標が薄れると、中央が統一的に政策を実施する必然性も薄れます。地域のことは地域で決めるべきと、地方分権が唱えられるのは自然な流れです。
地方分権の一つの形に道州制があります。道州制は現在の東北地方や四国地方みたいに、複数の都府県を行政単位にしようというものです。都道府県の代わりを州が担って、行政範囲を広域にするイメージです。街づくりは地域で進めるべきものでしょうし、農業や教育だって地域が独自色を政策に反映させてしかるべきでしょう。そのような地方分権には一定の合理性があります。ただし、現在唱えられている道州制は、導入理由が今ひとつ明確化されていないと感じます。国の権限を委譲するなら都道府県にすれば済みそうです。そもそも多くの人は、所属する地方にそんなに親近感を持っていないでしょう。道州制を導入するなら、地方行政のスリム化など明確な目標が必要です。
現在の都道府県制度は、明治の廃藩置県が発端です。廃藩置県は、殿様を引退させ、地方から中央に権力を移動する革命でした。この地方と中央との争いの結末が、明治政府と薩摩が争った西南戦争でした。中央集権は、かくも大きなエネルギーがぶつかった結果であり、明治政府が存在をかけて実施した政策です。この流れをくむ都道府県制度を崩すには、同じくらいのエネルギーが必要かもしれません。地方分権とは、霞ヶ関から地方が権限を取り返すことです。地方が中央にお願いして進める代物ではありません。地方が中央から権限を奪えるかどうかの争いです。
江戸時代の藩は「くに」とも呼ばれていました。実は藩というのは幕末や明治になって普及した言葉です。生活は藩で完結していたので、人々はあらためて藩を意識することはありませんでした。以前にも書きましたが、飢饉が発生して隣の藩が飢えても藩同士で助け合うことがないのが江戸時代です。地方分権は自由になることですが、同時にリスクをとる覚悟が必要です。分権だけが地方行政の処方箋ではありません。都道府県でも市町村でも、比較したり参考にしたりできる地方自治体は、国内に山ほどあります。行政分野ごとに他の地方自治体の成功事例を真似るだけでも、行政水準は相当アップします。
« 4-3 市町村の行政 | トップページ | 4-5 省庁の再編 »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 10−8 再構築(2008.01.11)
- 10−7 犯罪(2008.01.10)
- 10−6 格差とメディア(2008.01.09)
- 10−5 自殺率(2008.01.08)
- 10−4 格差社会(2008.01.07)
