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2007年11月

2007年11月30日 (金)

6-10 国連

 国際連合は国連憲章という条約に基づく組織です。略して国連です。1945年10月に第二次大戦の戦勝国(連合国)を中心に設立されました。中国語では国連を連合国と呼びます。戦中も戦後も同じ呼び名です。戦中の連合国と戦後の国際連合が実質的に連続している一つの証左でしょう。
 国連の最大目的は世界平和です。方法は集団安全保障というものでして、武力を行使した国があったら、国際社会全体でその国に制裁を課すやり方です。制裁には経済的制裁も軍事的制裁も含まれます。戦前の国際連盟は軍事的制裁を想定していなかったので、現実に平和を維持する力がありませんでした。その反省から戦後は、国連が自前の軍隊を持ち、軍事制裁を可能とする建前になりました。しかし、国連が設立されて60年が経ちますが、国連自らが指揮する国連軍は一度も組織されたことがないそうです。安全保障理事会の決議に基づいて、各国が軍隊を派遣する方式が取られてきただけです。
 安全保障理事会は国連の本質です。15カ国からなる構成ですが、5つの常任理事国には拒否権があります。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国が絶対に反対することは安全保障理事会の決議になりません。つまり、国連の意志になりません。これは第二次大戦の主な戦勝国が得た特権です。なんだかんだと理由をつけて、常任理事国を増やさないのは、五カ国からすれば当然です。現在の国際秩序を築いたのは自分たちだとの自負があるからです。薩長が仲違いしていても、他藩が割って入ろうとした場合には一致協力したのと同じです。現在では空文化していますが、国連憲章には敵国条項という規定があります。第二次大戦中の敵が国連憲章に違反した場合は、無条件に軍事制裁を課せるとの内容です。元々は、日本やドイツを念頭においた規定でした。そういう成り立ちですから、日本やドイツが常任理事国入りすることは並大抵ではありません。
 安全保障理事会以外にも色々な機関が国連にはあります。ユニセフは、紛争などで被害を受けた子どもを支援する機能を持っています。ILOは男女雇用機会均等や児童労働撲滅運動を推し進めています。WHOは伝染病対策や医療普及を担っています。紛争地域や途上国の弱者に対して、これらの機関が果たす役割は決して小さくありません。また、国連平和維持活動(PKO)も紛争の抜本的解決にまではつながりませんが、選挙監視や復興支援など一定以上の成果を修めています。したがって、約二割の国連予算を負担している日本は、それなりの国際貢献をしていることになります。
 最近は減ったようですが、国連に過度の思い入れをすることは意味がありません。国連は国家の集合体であり、国際的な公共機関です。特定の政治的理想を期待してもお門違いです。それらは勝手な思い込みにすぎません。また、国連中心主義というのも、よくわからないお題目です。長い物には巻かれろというくらいにしか聞こえません。国連は国際社会において最悪の事態は回避し、少しでもよくするための現実的手段です。それ以上でも以下でもありません。

2007年11月29日 (木)

6-9 南米、アフリカ 

 オーストラリアなどのオセアニアのほか南半球には南米とアフリカがあります。北半球と南半球の格差は南北問題として約50年も指摘されていますが、いっこうに解決する兆しがありません。100万人以上の日系人社会があるブラジルなどを除くと、南米とアフリカは日本にとって遠い関係の国々です。しかし、国際連合は加盟国それぞれが一票の議決権を有していますので、南米やアフリカとの関係は国際社会では非常に重要になります。中国が資源需要などで南米やアフリカと関係を強める中、日本もODAの戦略的利用を検討してもよいでしょう。
 南米の経済・社会の特徴は資源が豊富であり、貧富の格差が著しいことです。コロムビアなどでは、激しい貧富の差が劣悪な治安の一端にさえなっています。また、豊富な資源は奪い合いにつながったり、武器・装備の資金源になったり、皮肉にも社会的にはマイナスに働くことがあります。ベネズエラはコロムビア同様に資源が豊かな国でして、07年現在、資源を国有化し、社会主義的な政策を取る傾向にあります。背景には、アメリカ型の自由主義経済が貧富の格差を巨大にしたとの認識があるようです。これまで南米各国はアメリカと密接な外交関係を有してきましたが、ベネズエラをはじめ、アメリカと距離を置く外交を展開しようとする国が近年、増えています。
 社会主義的政策を取ろうと外交路線が何であろうと国家が機能しているのであれば、最低限の治安は確保されます。ところが、アフリカには国家が機能していない破綻国家が散在します。警察も学校も電気や水道などのインフラも麻痺した状態です。長期化する武力対立が原因のほとんどです。第二次大戦後に、紛争や内戦やクーデターを経験していない国はアフリカでは二割にすぎません。部族対立、資源争奪、宗教対立、国境紛争など原因は多岐にわたります。50年前のアフリカでは一人当たりGDPは途上国平均を上回っていたそうですが、相次ぐ内戦などにより、近年では約半数の人が一日を一ドル未満で生活する最貧状態にあります。さらに、エイズの蔓延が社会を破綻に追いやっています。全世界のエイズ死亡者数の八割以上がアフリカに住む人々です。アフリカ南部では最近10年でエイズにより平均寿命が10才以上短くなった国があります。国民の三割がエイズを患っており、平均寿命が30才台前半になると予測されている国もあります。
 エイズに対してであれ、武力衝突についてであれ、国連など国際社会は何もしなかったわけではありません。例えば、90年代初頭のソマリアには多国籍軍を投入しました。しかし、多国籍軍は人的損害を被り、撤退する結果に終わりました。内戦であれ、やくざの抗争であれ、仲裁は圧倒的な力の差を背景にしないと成立しません。ルワンダではソマリアの失敗から介入が躊躇されて、虐殺は約80万人に及んだとの推計があります。治安でもエイズ予防でも、国際社会の全面的な介入がなければ破綻国家の問題は解決しません。しかし、リスクを侵してまで破綻国家を救済しようとする国はわずかです。

2007年11月28日 (水)

6-8 オーストラリア 

 近年、安全保障分野などで日本とオーストラリアの関係強化が進んでいます。日本とEUの間と同じく、日本とオーストラリアの間には難しい外交問題はありません。オーストラリアは資源が豊富な南半球の国です。国民の9割が白人で、1/4が外国生まれです。これらの点は日本と大きく異なりますが、欧米から遠くに位置する先進国であり、アジアと関係は深いものの、いわゆるアジア諸国とは一線を画する存在であるところは非常に似通っています。国際関係上は共通の利害を有する、同じようなポジションを取る国同士と考えられます。
 オーストラリアは英連邦の一員であるため、元々はイギリスに安全保障を依存していました。しかし、第二次大戦後にイギリスの国力が低下すると同じ状況にあった隣国ニュージーランドとともにアメリカと軍事同盟を結びました。現在、オーストラリア国内には米軍が駐留しています。オーストラリアはイラク戦争や東ティモールの国連平和維持活動に軍を派遣しました。日本にも米軍が駐留しており、日本もイラク戦争や東ティモールの国連平和維持活動に自衛隊を派遣しました。安全保障上、非常に似た位置にいる両国は、07年に安全保障に関する共同宣言を結びました。日本にとってアメリカ以外の国と安全保障に関して協力関係を文書化したのは初めてだそうです。
 アメリカのように自由に安全保障を考えられる国は限られています。それこそ大国の特権です。他方、十分な国力を有しない小国には選択余地はありません。世界の大勢に従うまでです。間にある中規模の国は、国内事情と海外事情を勘案して、自国に有利になるように安全保障政策を判断します。例えば、ロシアやフランスがイラク戦争当初、参戦に反対したのは、武器輸出や石油開発の側面を計算してのことだろうと推測されています。その反対したロシア、フランス、ドイツも海軍を近海に派遣し、アメリカに一定の協力姿勢を示しました。イラク戦争に参戦したイギリス、イタリア、韓国などは、国内に駐留する米軍に安全保障を委ねている国々です。また、ポーランドやウクライナなどはロシアと距離をおき、アメリカと接近する外交上の選択から、イラク戦争に参加したようです。このような駆け引きが国際社会では繰り広げられます。
 近年、日本の安全保障上で最大問題は北朝鮮です。北朝鮮に備えるためには、短期的には日本はアメリカと共同歩調を取るのがベストでしょう。日本政府もはじめからイラク戦争の開戦理由には無理を感じていたと推測します。しかし、共同歩調を取るアメリカを支援しない選択は総合的には取りえません。イギリスのブレア政権も同じだったでしょう。イタリア、韓国、オーストラリアも同様です。長期的にアメリカと距離を置くとの選択は積極的検討に値しますが、短期的には現実的選択になり得ない場合が多いでしょう。
 安全保障上の長期的選択を検討するにあたっては、同じ国際環境にある国の戦略が参考になります。自らのことはなかなか客観的に眺められません。オーストラリアがどうするかを考えるのは、日本を客観視する参考になります。

2007年11月27日 (火)

6-7 中東 

 日本は資源の少ない国です。エネルギーの95%くらいを海外に頼ります。その半分は石油でして、石油の9割を中東に依存しています。おおまかに言って、日本はエネルギー資源の半分を中東の石油に依存している状態です。中東は全世界で確認されている石油埋蔵量の2/3を有します。また、中東は世界的に需要の伸びが著しい天然ガスでも巨大な埋蔵量を有しています。日本で、原子力や水力がエネルギー全体に占める割合が急に増えることはないでしょうから、これからも中東へのエネルギー依存が続くでしょう。
 中東とはアラビア半島とその周辺の地域です。西アジアと北東アフリカとも言えます。資源の宝庫であるほか、イスラムと紛争のイメージが一般的でしょうか。イスラム教は7世紀に始まった宗教です。ヨーロッパが停滞する中世に、イスラム諸国は隆盛を極めました。数学、医学、哲学など学問でも当時の世界最先端に位置しました。これらの学問がヨーロッパに伝わり、ルネサンスの下地を準備し、近代が始まることつながりました。しかし、近代に入ってヨーロッパの時代が訪れるとイスラムは停滞することになります。第二次大戦後の中東は戦争や紛争が続く状態です。
 第一次から第四次までの中東戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争など一つの戦争や紛争が終わるたびに別の争いが始まります。最大の原因は社会が安定しておらず、外交交渉によって国際問題が解決しないからです。結果として、武力によって解決することが選択されます。そこに、宗教問題や石油資源争奪による土地問題、大国の代理戦争、オイルマネーによる武器調達の容易さなどが絡んで、戦争や紛争が多発化します。また、一度生じた争いは次の争いの火種になります。パレスチナ問題はその典型でしょう。停戦までこぎつけても、すべての人が納得するわけでなく、何かをきっかけに争いが再燃します。アラブとパレスチナのそれぞれに言い分はありますから、双方に説得的な解決策はありません。紛争のない期間を長期化させることにより、紛争の記憶を風化させ、経済成長を実現し、社会の保守化を促すといった体質改善しか対策はない気がします。
 しかし、中東の保守化は簡単には進みそうにありません。20世紀の最後の四半世紀で中東全体の人口は倍になりました。経済成長率よりも人口増加率が急激で一人当たりGDPが低下することさえありました。さらに、21世紀最初の四半世紀でもこの傾向が続いています。つまり、50年程度で人口が四倍になる計算です。また、人口増加は若年層増加と同じです。サウジアラビアなどいくつかの国では20才以下が全人口の半数を超えています。若年人口の割合が高まると社会は不安定化するとの社会学の説からすると驚異的状況です。しかも、石油ビジネスは資本集約的ですので、雇用増加を必要としません。結果として大量の若年失業者が生じることになります。中東は石油経済からの脱却と雇用増加を求めています。日本が技術移転を通じて中東経済の高付加価値化に貢献できれば、中東の安定と日本のエネルギー需要の両者にプラスになります。

2007年11月26日 (月)

6-6 EU 

 EUは英語のヨーロピアン・ユニオンの略です。欧州連合と日本語では訳されます。ヨーロッパの国家連合でして、07年現在は27カ国が加盟しています。加盟国全体の人口を合計すると4.6億に達し、経済規模はアメリカと同程度になります。加盟各国の平等性に配慮し、公式文書は22カ国語にも翻訳されます。公平や平等というのは効率とは相容れないことを示す例です。
 EUの前身はECと呼ばれる国家連合でした。関税、農産物価格、エネルギーなど、ヨーロッパにおける経済問題解決に取組む機関でした。このECが条約によって、93年にEUになりました。理由は、経済統合を進めることと政治統合を目指すことです。02年からは統一通貨ユーロが流通しており、07年には約半数の国が使用しています。また、EU内では労働移動も通商も自由です。各国の間では、域内国籍のパスポート・コントロールも、税関もありません。人(労働)、モノ(通商)、金(通貨)の流れに国境がなくなったことになります。国境を越える経済に国家制度を合わせました。
 ヨーロッパは共通性が多い地域です。ローマ帝国がヨーロッパの広範囲を統治したために、ギリシア・ローマ文化の影響がヨーロッパ中に広がりました。ローマ帝国の公用語だったラテン語もヨーロッパの様々な言語に影響を与えました。例えば、学問の世界では19世紀までラテン語が中心的な言語でした。また、カトリック、東方正教会、プロテスタントなどキリスト教がヨーロッパ全域に広がりました。文化、言語、宗教の各方面で共通性を有する歴史です。アジアやアフリカとはこの点が大きく異なります。
 近代の500年はヨーロッパが世界史の主役でした。ローマ時代のヨーロッパは世界の先端地域の一つでしたが、中世の約千年は必ずしも先進的な地域ではありませんでした。それが、ルネッサンスを契機に合理的な精神が普及し、市民革命や産業革命を経て、世界の最先端地域になりました。ピークは19世紀の帝国主義時代だったでしょうか。その頃のヨーロッパの存在は圧倒的であり、世界全体がヨーロッパ各国に進出されました。科学技術など近代文明=ヨーロッパ文明でした。現在ある国家の制度を作り上げたのもヨーロッパ各国です。ヨーロッパは国民国家、近代国家の発祥地でもあります。
 そのヨーロッパで、国家の上に国家連合が構築されました。EUでは現在、各国による欧州憲法の批准手続が行われているところです。EUが出来て、各国内では地域主権を求める声が高まっています。また、少数民族地域も文化的な運動を強める傾向です。国家の存在が相対的には小さくなっています。そもそも、国家とは政治的な枠組みです。地域とは文化的つながりの範囲であり、経済は国の範囲を越えるようになりました。政治も経済も文化も国家の枠組みで運営されたのが近代でした。しかし、政治と経済と文化のそれぞれの範囲が異なるようになりました。であれば、無理に一緒にするほうが不合理です。近代を生み出したヨーロッパの新しい知恵がEUだと考えます。
 しかしながら、政治的単位としての国家はしばらく続くでしょう。なぜなら、政治的には国家は未だ最後の拠り所だからです。

2007年11月25日 (日)

6-5 ロシア 

 ロシアという国名もやっと耳になじんできました。でも、私などにはソ連という国名が未だに強烈に記憶に残っています。20世紀初頭に共産主義国家、ソ連が歴史上はじめて誕生しました。そして、20世紀終わりに崩壊しました。20世紀はアメリカの世紀であるとともにソ連の世紀でもあったでしょう。共産主義では財産は私有が認められず公有化されますが、結局は公有の美名のもと権力者がすべてを支配します。経済原理としても、国や党など供給側の論理だけが通って、需要側の論理が働かないので、共産主義や社会主義を採用した全ての国がその修正を迫られることになります。
 大方の日本人にとってのソ連のイメージは良くないものでした。不可侵条約を結んでいたのに、第二次大戦末期に一方的に破棄され、攻め込まれたことが原因の一つでしょう。ソ連はベルリン陥落後もドイツ侵攻を続けました。既成事実を作り上げ、支配地域を拡大するのは、ある種の特徴でした。また、戦後に日本人捕虜をシベリアなどに抑留し、強制労働を課し、多くの死亡者を出したことも悪いイメージの原因です。
 ソ連になる前のロシアと日本が戦ったのが日露戦争でした。日露戦争は、南下政策をとったロシアと日本が朝鮮半島をめぐって争った戦争です。日本は日本海海戦に大勝利を治めましたが、国力が疲弊し、講和条約を結ぶ結末となりました。日露戦争の原因であるロシアの南下政策と、ソ連時代の強大な軍事力の記憶が一つになると、ロシアへの警戒感が生じます。ロシアは歴史的経緯からして基本的にはヨーロッパの辺境国です。ヨーロッパの国とは言えないかもしれませんが、アジアの国では決してありません。ですので、シベリアや極東に関する政策は主たる政策ではありません。そのため、ロシアのシベリア、極東政策を分析するなら、ロシアのヨーロッパ政策を検討するのが近道です。日露戦争の原因の一つがクリミア半島への進出失敗でした。
 近年、極東地域のロシア軍の脅威低下を指摘する声があります。おそらくは適切な指摘でしょうが、安全保障上の変化というよりは、経済余力の問題だったのではないかと考えます。90年代にロシア経済は不調でしたので、そのあおりを受け、結果として軍事費の減少が生じたのではないでしょうか。近年、エネルギー価格の世界的高まりなどにより、豊富なエネルギー資源を有するロシア経済は活況を呈しています。好景気で国会財政が潤った時にロシアが軍事費抑制を続けるかは注視する必要があります。
 日本とロシアの間には北方領土という大きな問題も未解決で横たわっています。いずれの国民も素朴なナショナリズムから領土確保を求めます。領土問題ではどの国の政府であれ、簡単に相手国政府と妥協することは出来ません。日本では沖縄などが平和に返還されたのでピンと来ないかもしれませんが、戦争で取られた領土は戦争で取り返すしかないのが世界史の常です。領土返還を叫ぶだけで戻ってくるほど国際世界は甘くはありません。一般的に、領土問題には、当事者のどちらにも、それ相当の言い分はあります。解決にあたっては、生半可な問題でないと認識することが必要です。

2007年11月24日 (土)

6-4 アジア

 アジアという名前はローマ帝国の属州(支配地)の一つを指したものだったそうです。ユーラシア大陸のヨーロッパ以外の地域を指します。ユーラシア大陸―ヨーロッパ=アジアであり、どちらかというと消極的概念でしょう。ヨーロッパにはキリスト教、ギリシア・ローマ文化、ラテン語という歴史的な共通基盤があります。しかし、アジアには宗教、文化、言語で共通基盤と呼べるものはありません。アジアの中でも、とりわけ東南アジアは地理的な近さから日本にとっては接点が多い地域です。
 東南アジアの共通点は、ほとんどの国に植民地の歴史があることでしょう。イギリスやフランスから独立したのは第二次大戦後です。ほとんどが新しい国です。現在でも政情はなかなか安定しておらず、経済も多くの国で規模が小さく、発展途上にあります。最近では、イスラム過激派などの温床になっている点も見逃せません。9.11同時多発テロを引き起こしたアルカイーダの発祥地はアフガニスタンですが、90年代後半の活動中心地はフィリピンやインドネシアでした。国の隅々まで政府の警察機能が行き渡っていないこと、一国内に民族的、宗教的対立が多く見られることがテロリストの活動を容易にしています。また、アジアでは地域の国際的連携はヨーロッパと比較すると強くありません。
 その中では、ASEAN(東南アジア諸国連合)は30年の歴史を有する組織であり、東南アジア各国によるアジアの国際連携のさきがけです。このASEANに日本、韓国、中国が加わった会議が97年のアジア通貨危機後から開催されています。アジア通貨危機とは、アジア各国の通貨が下落し、各国に金融危機にさらされた事態でした。アジア通貨危機をきっかけにASEANの会議が拡大したことは、きわめて現実的対応ながら、はからずもASEANの限界を示しました。
 05年からは東アジア首脳会議が開催されています。ASEANに日本、韓国、中国、インド、オーストラリア、ニュージーランドが加わった会議であり、文字通り、東アジア各国によるサミットです。第一回の議題に東アジア共同体がのぼりました。東アジア共同体とはヨーロッパ共同体(EU)の東アジア版です。共同体は理念としては美しいでしょうし、遠い将来の目標になりえます。しかし、アメリカ抜きでは現実にアジアの安全保障は語れません。アメリカへの外交カードとして、東アジア共同体構想をアジア各国が利用することはありえるでしょうが、東アジアにおける米軍のプレゼンスを考慮すると荒唐無稽な感もあります。
 第二次大戦前の日本には大東亜共栄圏という思想がありました。崇高な理念ではあったでしょうが、一方的でリアリティがありませんでした。東アジアの安定は当然ながら、そこに位置する日本にもプラスです。東アジア共同体は進めるべき構想ですが、日本政府の言うとおり、自由貿易協定やテロ対策での連携など具体的政策の積み重ねの方が、現実に効果があるでしょう。EUの始まりも小さな関税同盟にさかのぼれます。

2007年11月23日 (金)

6-3 中国 

 中国は人口13億人の巨大な国です。近年は目覚ましい経済成長が世界から注目されています。国際機関の統計によれば、既に世界第6位の経済規模であり、日本の4割に達しています。人口は日本の10倍以上ですので、一人当たりGDPが日本の1/10になるだけで、同じ経済規模になります。現在の成長率が続けば、計算上は20年程度で日本と同じくらいの経済規模に達します。
 中華人民共和国は第二次大戦後の内戦を経て、1949年に建国されました。現在までのおよそ60年のうち、後半30年で市場経済化を進めました。前半30年は社会主義制度を取り、その結果うまく経済が回りませんでした。経済制度は変わりましたが、政治では一貫して共産党のみによる一党政治がなされています。憲法により共産党が唯一の政権党と決められています。経済は相当程度、自由化しましたが、中国では政治は自由化されていません。また、言論の自由も政治的分野などでは制限されています。
 社会主義経済時代の終わりに、文化大革命と呼ばれる大規模な権力闘争がありました。現在も天安門広場に大きな肖像画が飾られている毛沢東が、自身の政治的復権のために起こした運動でした。最初は政治運動でしたが、次第に学生など一般国民による暴力的社会運動と化し、経済人や知識人が国民から弾圧されました。また、文化遺産の破壊なども行われました。文化大革命により、何百万人以上もの犠牲者が出たといわれています。これにより毛沢東派は権力を手中に治めましたが、毛沢東の死により、再び毛沢東派は権力の座を追われました。欧米や日本と違い、中国では一般国民も政治運動の中心になります。そして、一夜でシロがクロに転じます。中国では政治が社会に決定的な影響を及ぼします。現在の改革開放路線も92年の鄧小平による政治声明を契機に一気に加速しました。
 したがって、政治の変化により経済などの政策が大きく転換する可能性は常にあります。区域や都市を限定して経済成長策をとってきたことなどから、貧富の格差は地域により歴然としています。また、工業化の影として環境破壊が急速に進んでいるとの報告もあります。少数民族は人口の一割も占めませんが、それでも一億に迫るものであり、国内民族問題は決して小さくはありません。これら何らかの原因に対処するため、天安門事件のように政治の舵取りが変更される可能性はあるでしょう。これまでの中国の発展は、安い労働力と外資導入による工場や設備の蓄積におうところが大です。技術進歩による真の意味での経済成長モデルは、まだ始まったばかりです。この段階で政治の舵取りが変わると、経済成長も鈍る可能性があります。
 戦前の上海は東洋一の金融都市でした。古くは、2000年前の製鉄生産は西洋の産業革命前夜の水準に達していました。成長と停滞が繰り返すのが中国史の特徴です。長い間の経済成長を支えるのは、政治的安定と資本主義的な勤労精神です。国土や人口など多くの点で恵まれている中国が発展を続けるかどうかは、この二つにかかっているでしょう。

2007年11月22日 (木)

6-2 朝鮮半島

 朝鮮半島はユーラシア大陸の東に位置する半島です。半島ですので三方を海に囲まれています。朝鮮半島には12世紀には元が攻めて来て、16世紀には豊臣秀吉が攻めて来て、17世紀には清が攻めてきました。19世紀にはロシア、清、日本が覇権を争い、20世紀前半は日本の植民地だった期間がありました。今でも、ロシア、中国、日本といった大きな国に囲まれています。大きな国の狭間で生き抜くのは容易なことではありません。他方、ロシア、中国、日本のそれぞれからすると朝鮮半島に独立の主権が確保されていることは、緩衝地帯が存在することであり、安定的で好ましいことです。
 朝鮮半島の人口は七千万超と言われています。日本の6割くらいです。そこに、大韓民国と北朝鮮が存在します。大韓民国のGDPは日本の近畿地方くらいです。北朝鮮のGDPは沖縄県のGDPより小さいと推計されています。沖縄のGDPは都道府県でも小さい部類です。仮に、小さい県が重税を課し、ミサイル開発をすれば、民間経済が圧迫されるのは当たり前でしょう。大韓民国と北朝鮮は北緯38度付近にある軍事境界線をはさんで対峙しています。軍事境界線は南北4キロの幅であり、ほとんどの地域で地雷がびっしりと敷き詰められています。人が立ち入ることがないので、野鳥の楽園と化しているそうです。
 朝鮮半島は第二次大戦後に分断されました。日本の敗戦により、朝鮮半島は日本の植民地から解放されましたが、すぐに北は当時のソ連に、南はアメリカに事実上占領されました。その上で、南北にアメリカとソ連の息のかかった政権がそれぞれ誕生しました。ドイツでは、米ソにより東西に分断されましたが、東西両ドイツが戦火を交えることはありませんでした。ドイツ統一が比較的スムーズに進んだのは実際に戦うことがなかったこともあるでしょう。他方、朝鮮半島では同じ民族がそれぞれアメリカや中国などの外国軍隊を引き込んで、戦闘を繰り広げ、国土を焦土と化しました。三年に及んだ戦争は1953年に停戦で終結しました。朝鮮戦争は当時の自由主義陣営と共産主義陣営との冷戦構造が生み出した産物です。しかし、冷戦が終わった今も南北分断は続いています。どんな状況であれ長く続けば、いつのまにかある種の均衡状態になります。国際関係上は、南北対立も危ういながら、既にバランスになっています。
 日本にとって朝鮮半島の問題は、北朝鮮のミサイル問題と拉致問題です。正直、どちらも特効薬はありません。あれば、日本国政府はその処方箋を試しています。根本的な問題は、北朝鮮が独裁国家であることです。独裁国家は政権延命のみが国家目標になり、他国からみると非合理な選択を取ります。しかも、独裁国家は政治弾圧などによって自らの体制を守ります。キューバであれ、リビアであれ独裁国家は何十年も続いています。イラクのように外国の力が加わらない限り、経済は疲弊しても独裁体制は延命します。北朝鮮上層部の亡命と生命・財産の確保を認めてでも、独裁国家の枠組みを壊さない限り、日本にとっての朝鮮半島問題は解決しないと考えます。

2007年11月21日 (水)

6-1 アメリカ

アメリカは超大国です。日本は経済大国ですし、中国やインドは人口大国、ロシアは保有核兵器数からすると未だに軍事大国ですが、アメリカはすべての分野で大国たる超大国です。
 アメリカの特徴は歴史の浅い人工国家である点でしょう。ヨーロッパやアジアの国々のように、伝統ある社会がベースとなって、その上に近代国家が成り立っているわけではありません。アメリカは古代や中世といった時代を経ることなく、ほとんど突然に近代国家として誕生しました。世界ではじめて成文憲法を持った国家であり、憲法により国家と国民とが社会契約した人工国家です。シンプルに社会=国家という構造です。そして、この社会=国家は独立戦争の硝煙の中から生まれました。
 どの国家も安全保障を重視しますが、とりわけアメリカにその傾向が強いのは生い立ちにもよります。開拓民が民兵となって、イギリス軍を破ったのが独立戦争でした。その影響で、アメリカを防衛することを目的として、人民が武装する権利が憲法に定められています。これが合衆国憲法修正第二条「人民の武装権」です。同時に、銃社会アメリカの根拠であり、銃規制が進まない法的理由です。アメリカの安全保障を数字で眺めてみると、アメリカの公的機関の統計でも、民間の研究機関の統計でも、アメリカの軍事費が世界全体の軍事費の半分に達します。
 数字を少し並べますと、アメリカは3億人の人口を擁する国家であり、世界三位に位置します。そのうち白人が3/4を占めます。プロテスタントが人口のおよそ半分で、キリスト教徒全体では人口の3/4を占めます。人種のるつぼとかサラダボールとか言われますが、マジョリティを占めるのは白人であり、キリスト教徒です。キリスト教徒でも右派と呼ばれる集団には、聖書の字句をそのままの形で信じて、進化論を認めないファンダメンタリストと呼ばれる人々がいます。彼らは有力な共和党支持者であり、みのがせない政治勢力です。
 経済でもアメリカは世界一の大国です。世界GDPの三割を占め、EU全体と同じ規模に達します。ちなみに日本は一割強です。アメリカ経済の特徴は、自由競争であり、民間主体であることでしょう。社会保障でも民間主体の考えは貫かれています。医療保険すら民間の保険会社が中心であるため、数千万人が医療保険に加入できていません。日本のように国民すべてが医療保険に強制加入している社会とは大きく異なります。医療費が払いきれずに破産した人が数百万人を超えるとの推計もあるほどです。
 日本人はアメリカが好きであると同時に嫌いでもあるでしょう。古くは、関東大震災後に米軍の大規模援助で親米が増加しました。ただし、翌年のいわゆる排日移民法で反米が増加したことも有名です。第二次大戦に敗れた後、アメリカ文化に憧れたのも愛憎半ばする姿に映ります
 アメリカは超大国です。世界のすべての小国はアメリカに従います。安全保障上、最も危険が少ない合理的選択です。戦後日本はずっと小国と同じ選択をしてきました。

2007年11月20日 (火)

5−10 軍事裁判と国際秩序

 国連憲章などで戦争(武力行使)は原則として違法とされています。ただし、自衛のための武力行使や国連が認めた武力行使は例外です。原則として違法な武力行使ですが、それでも交戦国には守るべきルールがあります。戦争だからといって何でもして良いわけではありません。捕虜は適正に扱わねばなりませんし、毒を兵器に使ってもなりませんし、武器は公然と持たねばなりません等々です。ハーグ陸戦条約やジュネーブ条約が戦争のルール(戦時国際法)として有名です。正々堂々と闘いましょうというのが戦時国際法のエッセンスです。
 これらの戦時国際法に違反する行為を元々は戦争犯罪と言いました。そこに、第二次大戦直後の国際軍事裁判で、平和に対する罪と人道に対する罪が加わりました。第一次大戦直後も国際軍事裁判はドイツ皇帝を被告人として開かれそうになりましたが、皇帝の亡命先が身柄引渡しを拒否したため、結局開かれませんでした。ちなみに、その時は日本も裁判を開こうとした戦勝五カ国のうちの一つでした。
 よく耳にするA級戦犯とは、第二次大戦後に新たに定義された平和に対する罪で有罪とされた人々です。これに対してB・C級の戦犯は、捕虜を適正に扱わないなど、元からある戦争犯罪で有罪とされた人々です。AからCは等級ではないので、A級戦犯が一番重い犯罪なわけではありません。東京裁判(極東国際軍事裁判)は東京で開催され、A級戦犯を裁きました。B・C級裁判は日本だけでなく中国やマレーシアでも開かれました。歴史的に多くの軍事裁判がずさんに開かれたそうですが、日本のB・C級戦犯もかなりずさんに裁かれ、無実の罪を背負わされた人々が多くいたそうです。
 軍事裁判とは勝者が敗者を裁く場です。この点では、ドイツに対するニュルンベルク裁判も、日本に対する東京裁判も同じです。東京裁判で判事を務めたインドのパル判事は、裁判の公平に照らして、A級戦犯に問われた被告人全員の無罪を主張しました。また、東京裁判に対しては、平和に対する罪は当時の国際法では確立していなかったので、犯罪の後に刑罰を作ってはいけないという趣旨の「罪刑法定主義」や「法の不遡及」に反するとの指摘がなされることもあります。
 デモクラシーでは、街を支配していたならず者を倒した保安官は、この機会にならず者に復讐しようとする民衆から、ならず者を守るのが役割です。その上で、ならず者に対して法に基づく公正な裁判が開かれるべきです。国際軍事裁判も本来は結論ありきの復讐でなく、公平かつ公正な裁判であるべきでしょう。しかし、戦争は勝者にも多大の犠牲を強います。実際には、国際社会の感情を整理する役割も国際軍事裁判は果たさなければなりません。デモクラシーに反するかもしれませんが、これが現実の国際秩序です。パル判事の説は正論ですが、力が伴わない正論は影響を持ちません。国際秩序とは勝者が作るパワーバランスです。敗者はこのバランスに参加するか、再び挑戦するかを損得で考えます。

2007年11月19日 (月)

5−9 憲法9条と日米安保条約

 憲法第2章は第9条のみからなります。第2章の章名は「戦争の放棄」です。GHQが憲法草案を検討する途中では、現在の第9条が第1条とされていた段階がありました。それくらいに憲法制定にあたって重視された条文です。第9条の中味は、戦争の放棄と戦力の不保持です。交戦権の否認も教科書などで記載されていますが、交戦権の否認はGHQ内部では場合によっては削除して構わないとの位置づけだったそうです。日本国憲法の特色である平和主義は、前文と第9条に基づきます。しかし、世界の多くの国の憲法でも平和主義を定めているとの調査・分析があります。であるなら、戦力不保持の規定こそ日本国憲法の大きな特徴になります。
 第9条では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とされています。急に不正な侵害があった時は、個人には正当防衛が許されます。これと同じ論理で、国家も自らを守る権利があるはずだから、必要最小限度の戦力を保持することは第9条でも禁じられていないと政府は解釈します。憲法が制定される際は、政府は自衛権を否定していましたが、国際情勢の変化とともに解釈が変わってきました。必要最低限なんていう基準は抽象的ですので、今後も裁量的な解釈が続きそうです。国際情勢の変化に実際の武力水準を合わせた後、解釈変更で追認するのが、第二次大戦後の日本のやり方です。これに反対して、文字通りに憲法を解釈すべきというのが護憲派です。他方、解釈変更で対応せずに正面から憲法を見直そうというのが改憲派です。
 憲法というのは畢竟、国内の縛りです。非常に大雑把な言い方をしますと、諸外国からすれば日本国憲法で戦争放棄をしても、それは日本の自主規制にしか見えません。外国と結んだ条約すら状況によっては破棄されるのが国際政治です。自衛隊と在日米軍による戦力の存在が、諸外国にとっての現実です。また、第9条に関する世論は、万が一、東京湾にミサイルが飛んでくるようなことがあったら、一変してしまうことでしょう。
 日本国憲法は連合国による占領下で制定されました。当時、日本の安全保障を担っていたのは占領軍です。日本の国際社会復帰の段階で、占領軍が在日米軍に名前を変えました。それ以降も引き続き、在日米軍が日本の安全保障に大きな役割を果たしてきました。第9条は制定以来ずっと米軍の存在を暗黙の前提にしています。この在日米軍の法的裏付けが日米安全保障条約です。日米安全保障条約こそ、日本と国際社会の関係を体現するものです。したがって、個人的には第9条について検討するよりも日米安全保障条約について検討する方が本質的だと考えます。
 第9条を改正して、自衛隊を軍隊にすれば、日本の軍事力は自由度が増すでしょう。しかし、アメリカの世界戦略に変化がなければ、日本国憲法を改正したところで、米軍が日本に駐留する状況は変わらないと予想します。第二次大戦の敗戦国に戦勝国の軍隊が駐留する姿のままです。日米安全保障条約と在日米軍駐留の継続を前提にするなら、第9条を改正したところで、日本の安全保障に本質的変化はないでしょう。

2007年11月18日 (日)

5−8 死刑と感情

 死刑は日本では最も重い刑罰です。極刑とも呼ばれます。殺人罪や現住建造物等放火罪など非常に重い罪に科されます。日本での死刑執行方法は絞首です。絞首以外の方法としてアメリカでは致死薬注射や電気椅子がありますし、中国では銃殺も行われます。日本の死刑は非公開で極めて秘密性が高いですが、中国などでは公開処刑が行われることがあります。ちなみに世界の死刑執行数の九割は中国一国で占められます。
 世界は、死刑を廃止している国、死刑を戦時の敵前逃亡等への適用にのみ限定している国、制度はあるが死刑を実施していない国、現に死刑を執行している国など様々です。歴史的には、近代以前はヨーロッパを含む広い地域で、必ずしも重くない罪に対してまで死刑は課されていました。その後、懲役刑が広がると、死刑は重い罪に対する刑罰と位置づけられるようになり、ヨーロッパでは廃止が傾向となりました。ポルトガルは日本で大政奉還が行われた年(1867年)に早くも死刑を廃止しました。現在のEUは死刑廃止を加盟条件にしています。ヨーロッパでは宗教感情などから、死刑は非人道的と認識されているようです。世界的にも1966年に国連総会で採択された国際人権規約では、死刑廃止に関する選択議定書が盛り込まれています。
 死刑制度の存続を主張する側は、犯罪予定者への威嚇による一般的な犯罪防止と、凶悪な犯罪者を社会から排除することがもたらす犯罪防止を根拠にあげます。しかし、死刑反対派によれば死刑の犯罪抑止効果は明らかでないそうです。日本の世論調査では、死刑制度の存続支持が増加する傾向にあります。質問形式で誤差はありますが、近年では八割が死刑存続支持であり、死刑廃止は一割以下と分析されています。肉親を殺されたら、犯人を殺してやりたいと思うのが自然の情であり、江戸時代に制度として認められていた敵討ちが今は許されないのなら、国が代わって死刑執行して欲しいとの潜在的社会意識がある気がします。国家が人を殺して良いかどうかや、そもそも人は人を殺してよいのかといった根源的な問題が問われる以前に、仇討ちしたいとの素朴な感情が未だに日本社会に強く残っているのではないでしょうか。
 実際に死刑執行される数は、ここ30年は一桁で推移しています。90年代初期は一件も執行されない年が続きました。これは、死刑執行に関する最終決裁権者である法務大臣が文書に署名をしなかったためです。宗教的信条などが原因で署名しなかったのでしょうが、であるなら初めから大臣に就任しなければ良いことです。宗教的理由による良心的兵役拒否という制度が世界にはありますが、これは徴兵が義務付けられているからこそ認められる制度です。大臣就任は義務でないのですから、良心的拒否は筋違いでしょう。
 死刑制度は法意識や文化と強く関係するものです。世界的には死刑制度廃止が傾向ですが、凶悪な犯罪がしばしば起き、繰返し報道される中では、国民感情を重視するなら日本では当分の間は死刑制度が続くことになるでしょう。

2007年11月17日 (土)

5−7 英米法と大陸法

 英米法や大陸法という言葉を聞いたことがあるでしょうか。イギリスや、アメリカ、インド、オーストラリアなど旧イギリス植民地における法律の体系が英米法です。他方、ドイツ、フランス、イタリアなどの法体系は大陸法と呼ばれます。近代に入って法制度を整備するにあたり、統一国家であったローマ帝国の法律をモデルにしたのが大陸法です。そのヨーロッパ大陸諸国と比べて、イギリスは近代化以前に法律の全国統一が進んでおり、ローマ法を改めて大々的に取り入れる必要性はありませんでした。結果として、英米法と大陸法の差異が生じるようになりました。英米法と大陸法は、大英帝国とローマ帝国のそれぞれの名残とみることも出来ます。
 英米法はコモン・ローとも呼ばれます。地区や階級でばらつきがあった判例・法律(ロー)を国王が12世紀に共通(コモン)にしたことに由来するそうです。コモン・ローでは、裁判所の判例が重要な役割を果たします。議会で定められた条文形式の制定法以外に、過去の判例も裁判の明確な基準になります。ただし、制定法と判例がぶつかった場合は、制定法が優先されます。そのため、近代になり議会による立法領域が広がるにつれて、イギリスでも制定法の比重が高まってきました。他方、大陸法では議会が定める、条文形式の法律が中心です。判例も重視はされますが、英米法に比べるとその効力は格段に下がります。日本は明治に入って、ドイツやフランスの法律を参考に法律を制定したので、大陸法のグループに属します。
 ところで、近代とは国家が生活のあらゆる領域に関与するようになった時代です。近代以前は国家のルール以外にも、教会のルールや地域のしきたりが日常生活で大きな役割を果たしていました。例えば、近代以前のヨーロッパでは国家の法律のほか、カソリック教会の定める教会法(カノン法)が結婚などを規定していました。結婚同様に離婚(婚姻無効)も教会法の範疇でした。16世紀に英国王が婚姻無効をローマ教皇に働きかけて、認めらなかった出来事は歴史的に有名です。これをきかっけに、英国王とローマ教皇の対立が深まり、最終的にはイギリス国教会がカソリック教会から独立することになりました。
 イスラム社会では、家族に関する法律は今でもイスラム法(シャリーア)に則ります。シャリーアとは民法、刑法、行政法などを含む一つの法体系です。以前より適用範囲が狭まったとはいえ、シャリーアは宗教的かつ社会的なルールとしてイスラムでは現在も重要な役割を果たしています。また、東アジアには伝統的な法体系として律令がありました。
今で言えば、律は刑法に令は行政法にあたります。律令は8世紀頃にアジア全域に広がっていました。日本では大宝律令などが定められました。
 日本は大陸法に分類されますが、敗戦でアメリカ法の影響も大きく受けました。いずれの国の法制度も歴史の所産であり、それぞれ独自の色彩を持っています。ただし、歴史的には各国法制も次第に共通化される傾向にあります。国際化はその流れを加速します。

2007年11月16日 (金)

5−6 国内法と国際法

 法律は、国内ルールの国内法と国際ルールの国際法とに分けることが可能です。先に取り上げた民法、商法は私的領域に関する日本国内のルールです。公的領域に関するルールは一般に公法と呼ばれます。行政に関する法律などがこれにあたります。自動車免許や営業免許などが日常生活で身近な行政行為でしょうか。これらは、通常は禁止されている行為ですが、誰でも免許を取ることによって解禁されます。似たようで少し違うのが、通信事業や鉄道事業の許可です。許可を取得してはじめて権利や地位を得ることができます。非常に古い例に、17世紀からインドでの貿易を独占し、後にインドを支配したイギリスの東インド会社があります。東インド会社はイギリスのエリザベス女王から特許状を得て、設立された会社でした。また、エリザベス女王は海賊に特許状を与えて、イギリスの海上利権の確保を目指しました。今なら犯罪支援なので、とんでもないことです。
 許可など国の行為は時に生命に重大な影響を及ぼすことがあります。薬害エイズ事件では当時の厚生省が対策を誤ったために、被害が拡大したと裁判で認定されました。しばしば、行政は関係事業者などの利害を重要視しすぎます。また、専門的視点を重視するあまり、総合的判断を誤ることがあります。したがって、許認可も失敗する可能性があることを前提にして、その対策を講じる必要があるでしょう。情報公開や第三者による行政評価は、失敗の早期発見に資するものです。
 国内法としては、地方自治体の定める条例の役割が社会的に上昇していると感じます。例えば、迷惑防止条例は痴漢や暴力の防止に運用されますし、最近ではストーカー行為も対象範囲です。99年に児童回春・児童ポルノ処罰法が出来る前は、児童回春を淫行条例で取り締まっていました。同じく、04年に景観法が出来る前から、500を超える景観条例が存在し、屋外広告の制限や景観の保護がなされてきました。有害図書の指定をする青少年保護育成条例は、国が表現の自由に踏み込むのを避けるための現実的方策として普及しています。柔軟かつ機動的な対応として、国による法律よりも地方自治体による条例の方が優れていることがあるでしょう。条例の役割増大が、現実的な地方分権の近道であると考えます。
 他方、条約の果たす役割も増加しています。世界の貿易は、95年からWTO協定によって多くのことが定められ、150を超える国が国際ルールに加わり、自由化を進めています。さらに、二国間以上の地域で自由貿易地域を結成する自由貿易協定(FTA)も拡大しています。また、インターネットによる世界的な情報流通の拡大から、著作権や通信・放送では国内法で規制する意味が薄らいできました。世界的に同じルールにしないと、抜け穴が出来てしまい、各国の国内法での規制が無意味になってしまいます。
 国際法としての条約の役割と、国内法としての条例の役割が増加する傾向にあります。国家による固有の法は従来よりもその社会的比重が低下するでしょう。

2007年11月15日 (木)

5−5 刑事と民事

 裁判には大きく分けて、刑事裁判と民事裁判があります。犯罪事実の有無により、刑罰や刑期を決めるのが刑事裁判です。他方、私的な紛争を法的に解決するのが民事裁判です。例を示すと、交通事故を起こした時に、刑務所に入るかどうかを扱うのが刑事裁判で、いくら損害賠償を支払うかを扱うのが民事裁判です。交通事故といえば、飲酒運転の厳罰化が事故数減少に貢献しているとの分析があります。刑罰には犯罪の抑止効果がある証拠です。刑事裁判と民事裁判は、それぞれ刑事訴訟法と民事訴訟法という手続を定めた法律に基づいて進行します。ところで、まれに刑事裁判と民事裁判で勝ち負けが異なることがあります。これは、両者の目的が異なるため、結果が異なることも起こりえるからです。論理的に矛盾はないのですが、割り切れない印象を持つ人が多いでしょう。
 犯罪か否かは、刑法の条文に該当するか(構成要件該当性)が初めの基準です。近代刑法では人権に配慮し、事前に法律で決められていなければ、罰せられないのが決まりです。次が違法か否かでして、条文に該当する行為でも正当防衛などは違法ではありません。最後が責任を問えるかどうかです。例えば、精神障害を煩っている人は、条文に該当する違法な行為をしても、責任を問われないので有罪になりません。そのような行為は、治療の対象であっても、処罰の対象ではないとの考えが背景にあります。悪いことをしても処罰されないことに対して、釈然としない印象があるかもしれませんが、近代刑法では刑罰は復讐でなく再発防止を目的にするので、このような結論がとられています。
 逮捕は主に警察の役目ですが、裁判にかける否かは検察官が判断します。汚職事件や経済犯罪では、検察官が資料を押収する姿が放送されます。検察官の権限は非常に大きく、情状や犯罪の軽重によって、裁判にかけるのを見送ることも出来ます。また、検察官は一人ひとりが独立して職務を遂行する制度になっています。日本では、法務大臣であっても直接に現場の検察官を指揮出来ない制度です。時々、国策捜査という言葉を耳にしますが、制度からすると政府の方針で捜査がなされる形にはなっていません。ある程度の証拠を目にすれば、職業柄、動いて確かめようとするのが検察というものです。これが捜査される側からするとあたかも政府の方針があるかのように映るのだと思います。
 民法は私的生活に関する一般的な法律でして、財産や家族について定められています。離婚や相続も民法の範囲ですので、日常生活に最も身近な法律でしょう。商法は商業に関する、民法の特別法です。商行為や会社について定められています。法律によれば、会社は社長のものでも、従業員のものでもなく、株主のものです。社会的にも、以前と比べて、会社のオーナーは株主だとの認識が広まってきました。日本では私的な紛争を裁判以外で解決しようとする傾向が強くありました。しかし、司法制度改革により今後は供給面では弁護士数が増加しますし、需要面では裁判を選択する心理的障壁がさがりそうです。徐々に裁判で決することが日本社会でも増加し、欧米との差が小さくなると思います。

2007年11月14日 (水)

5−4 裁判と世論

 「遠山の金さん」と並んで「大岡越前」はお奉行さんが主人公の人気時代劇でした。子供の親権争いで二人の母親に子供の手をひっぱらせた裁きなどが有名です。このような味のある裁判は、旧約聖書や中国の故事など世界各国にも見られます。しかし、時代劇の結末などを見ると、日本人はことのほか人情味のある一件落着が好きな気がします。
 現実の裁判は手続きが厳密に定められており、大岡裁きとは様相を異にします。近代国家では立法、行政、司法の三権が分立しています。裁判官の役割は議会が作った法律を当てはめることです。裁判では当事者の主張をベースに判決が下されます。事件を解決するために、その場でルールを作ったり、ひっぱりあいで勝ち負けを決したりすることは出来ません。また、裁判官は常にたくさんの訴訟をかかえています。国の司法機能を円滑に機能させるため、裁判官は機械のようにてきぱきと事務処理をこなすことが求められます。大岡越前のような裁判官を期待しても、現実の裁判官はその期待には応えられません。
 裁判官は当事者の主張や証拠などに基づき、法律をあてはめます。たとえ新聞やテレビが容疑者をどんなに犯人扱いしようと、当事者の主張や証拠などに基づかずに勝手に法律を当てはめることはできません。本来、裁判は評判や憶測から中立的でなければなりません。しかし、裁判官といえども社会から孤立して生活しているわけではないので、世論の影響を知らず知らずに受けます。少し古いですが、ロッキード事件のように被告人の有罪を世論が強く期待するような場合に、裁判所が世論に対して超然としていられるかは、いぶかしい気がします。仮にロッキード事件で田中角栄元首相に無罪の判決が出ていたら、当時の人々は司法に対して不信に陥ったかもしれません。訴訟手続で多くの疑問が呈せられましたが、ロッキード事件の裁判では訴訟手続に関する裁量的解釈がなされた印象があります。裁判の中立性よりも司法への信頼を重視したとみなせます。
 ロッキード事件の田中裁判は、最終的には被告人の死亡による公訴棄却で終了しました。日本の裁判は三審制といって、一つの事件や紛争で三回まで裁判を受けることができます。審議をつくすのが制度の理由です。結果として一審、二審で勝っても、三審で負ければ裁判は敗訴に終わります。審議をつくすという理由はもっともでしょうが、下級審で勝った側も一度得た勝訴がぬか喜びに終わることがあります。加えて三審制には時間がかかります。最近は迅速な裁判を目的とした制度改正がなされてきましたが、それでも長期間を要する裁判がしばしばです。慎重さと厳密さの二律背反のジレンマです。
 平成21年からは、司法への理解と信頼向上を目的として、普通の人が裁判に参加する裁判員制度が始まります。対象は重大な刑事事件です。有罪か無罪か、有罪なら刑はどれくらいかの判断に、普通の人が裁判員として参加することになります。だれでも裁判員に選ばれる可能性がある制度です。庶民感覚が裁判に反映されるのは悪くないですが、世論に影響を受けすぎないように注意して運営されることが必要になります。

2007年11月13日 (火)

5−3 皇室と制度

 日本国憲法の第一章は天皇です。大日本帝国憲法も同じでした。天皇の規定が憲法で非常に重視されている証拠です。天皇は英語ではエンペラーと訳されます。でも、エンペラーの本来の訳は皇帝のはずです。秦の始皇帝やナポレオン皇帝の覇者のイメージと、天皇のイメージは大きく異なります。古い中国には冊封という外交関係がありました。この冊封により皇帝に地位と領土を認められるのが王です。中国の5世紀頃の書物には、倭国王として当時の日本の王が出てきます。天皇は中国皇帝に冊封される地位ではないので当然ながら王ではありません。また、日本では権力の移り変わりと関係なく、皇室はずっと続いてきました。ヨーロッパや中国では、王朝は栄えて滅びての歴史でしたので、この点でも皇室の伝統は大きく異なります。そのほか、皇室と神道は密接な関係にあります。ローマ教皇は長い歴史を持つ宗教的存在であり、国家のトップであった時期もあります。天皇と似ているところもありますが、選ばれる存在であることが天皇とは根本的に異なります。総合すると天皇は世界史的に似た例のない存在ということになります。
 日本国憲法では天皇は日本国の象徴です。日本政府がGHQと憲法に関して交渉する中で、英語のシンボルの訳として、象徴という言葉が当てられました。大日本帝国憲法では天皇が天皇大権と呼ばれる広い権限を持っていましたが、日本の歴史で天皇が権力者であった期間はわずかです。特に、鎌倉時代以降の武家社会では、今の日本同様に象徴的な地位であったと見て、あながち間違いではないでしょう。他方、自らの権威をあげるために、天皇の歴史的側面や宗教的側面を利用したのが明治政府でした。それが行き過ぎ、だんだんと天皇のカリスマ性を悪用したり、宗教的に妄信したりする風潮がはびこりました。昭和になってからの一部軍人などは、神話を事実とごちゃまぜにして、天皇を現人神と崇めるほどでした。昭和天皇ご自身が自らを大日本帝国憲法に基づく立憲君主として律していたにもかかわらずです。日本国憲法で天皇が日本国民統合の象徴されているのは、歴史的には妥当なところではないでしょうか。
 現人神でなくても、天皇が社会的にえらい存在であることは変わりません。万世一系とかなんとか理由がつけられますが、本来、えらいに理由は不要でしょう。伝統的にえらい存在であれば、尊ぶのが自然な振る舞いだと思います。伝統と絡み、皇位継承が近年色々と議論されました。皇位継承は専門家でも細部の見解が別れる難しい問題です。ただ、結論もさることながら、静かに控えめに検討する姿勢こそが社会的に妥当だと考えます。皇室報道についても同じです。開かれた皇室が世の流れであっても、無理矢理こじあける必要はないでしょう。表現の自由は憲法で保障されていますが、謙抑的なくらいが適当な報道領域はあるはずです。憲法における天皇の規定は、伝統を踏まえたものですし、社会的にも定着していると思います。皇室制度は部分的に見直しがさけられない点もあるでしょうが、国民感情にも配慮し、ゆっくり自然に答えをだすのがベターだと思います。

2007年11月12日 (月)

5−2 憲法と国

 憲法とは国の最も基本となる法です。歴史的には、統治に関する内容から基本的人権を含む内容に拡大してきました。日本では明治22年に、近代的憲法として大日本帝国憲法が公表されました。当時の人々は、憲法の内容を知る前から、憲法制定を祝い、提灯行列をしたそうです。日本が欧米並みに近代的な憲法を持つ国になり、自らも明示的に国民(臣民)になったことを当時の人々は祝ったのでしょう。士農工商の身分制がない新しい社会を歓迎する気分だったのだと思います。日米安全保障条約改正でも、改正内容よりも改正すること自体が問題になりました。社会的に大きな影響のある法では、往々にして、内容よりも衣が世間では重要になります。
 日本にとって二つ目の近代憲法が現在の日本国憲法です。日本国憲法はGHQ占領下の昭和21年に公布され、翌年に施行されました。形式的には大日本帝国憲法の改正がとられています。基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の三つが特色と習いました。中でも基本的人権の尊重が憲法の本質と理解されます。人権、人権というと難しそうな響きですし、左翼的な感じもします。しかし、ヒューマン・ライツの訳語にすぎません。人間の権利という意味ですから、ことさら難しく考える必要はないでしょう。人らしく生きる、他人に対して人がましく接するなどがニュアンスです。具体的には、幸せを求めたり、自由であったり、法の下で平等であったりする権利です。また、アメリカ合衆国憲法と異なり、日本国憲法ではいわゆる社会権が定められています。「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」との第25条は社会権の一つです。最低限度の生活があってはじめて、自由も成り立ちうるものだと個人的には強く思います。
 大日本帝国憲法は一度も改正されませんでした。日本国憲法もこれまで一度も改正されていません。平成19年現在、日本国憲法は世界で最も長い間改正されていない憲法だそうです。第二次大戦の敗戦国では、ドイツが50回以上、イタリアも10回以上、憲法(基本法)を改正しています。変えれば良いわけではありませんが、一度も変えないのも世界的には極めて異例です。また、イギリスでは憲法改正と法律改正に根本的な違いはありません。これはイギリスの憲法が一つの法律の形式をとっておらず、いくつもの古い法律や不文律の集合体であるためです。このような憲法を不文憲法(不成典憲法)と言います。反対が、日本国憲法なような成文憲法(成典憲法)です。世界で最も古い成文憲法は、1787年アメリカ合衆国憲法です。近代国家の形式はたかだか200年強にすぎません。
 アメリカのような人工国家は憲法に基づいて誕生しますが、イギリスや日本のような古い社会は国家が憲法より先に存在します。憲法は国家にたがをはめるために存在します。憲法改正に反対する人は、現行憲法の枠組みで国家にたがをはめ続けたいと思っているのでしょう。しかし、非常に重要ではありますが、憲法といえども社会の制度にすぎません。憲法を尊重するにしても、神仏として崇める必要はないですし、何よりも人々の日常や現実のためにあることを忘れるべきではありません。

2007年11月11日 (日)

5−1 法意識と法制度

 法は社会の強制的なルールです。いつの時代のどこの国でも何らかの法はあります。日本では、古くは聖徳太子が定めたとされる十七条憲法が有名です。十七条憲法は、貴族などに対して道徳的なルールを定めたものであり、儒教や仏教の教えを取り入れたと言われています。鎌倉時代に定められた御成敗式目(貞永式目)は、武士の習慣を法律にしたものです。このような道徳や習慣と密接な法律は、社会でスムーズに運用されます。ちなみに、江戸時代には御成敗式目は習字の手本として普及していたそうです。これなら、知らず知らずに法律が社会に浸透することになります。そんな影響もあり、現在の日本社会にも武家社会の法意識が残っているようです。
 日本は明治になって、西洋の法制度を輸入しました。ですから、現在の法制度は日本の伝統や慣習に基づかない部分がたくさんあります。法律を作ること(立法)、法律を運用すること(行政)、法律により裁くこと(司法)の三権を分立することも輸入品です。三権分立と異なり、テレビ番組の「遠山の金さん」は町奉行として江戸の行政も司法も担います。同じくテレビ番組の「水戸黄門」はフィクションではありますが、先の副将軍として悪者を懲らしめます。先の副将軍というのは、権威はあるでしょうが、権限はないはずです。権限なきものが何となく現れて、悪事を正すのは三権分立のルールからは外れるでしょう。でも、現在の政治でも同じような感じで、権限に基づかずに、権威で事態が収拾されることがあります。
 しばしば、日本の政治にはキングメーカーと呼ばれる人が出てきます。退任後の田中元総理はそうでしたし、金丸元副総理も同様でした。政治・行政のトップたる総理大臣よりも力のある人が、事実上存在しました。キングメーカーは水戸黄門と同じで、法律上の権限があるわけではありません。また、やっていることは正式の役職とも関係ないので直接にストップをかける方法もありません。さかのぼると、明治・大正時代でも元老が一種のキングメーカーとして、総理大臣の選定に深く関与してきました。これに対して、アメリカの大統領やイギリスの首相はまぎれもないトップです。
 通常、デモクラシー(民主主義)では、人々が政治や行政を担う人を選ぶ形になっています。キングメーカーが為政者を選ぶのは本来のデモクラシーではありません。制度が本来の趣旨から外れた場合、歴史や慣習に照らして、在るべき姿を回復するのが理想的です。しかし、日本ではデモクラシーは輸入品であり、歴史や慣習に照らしても、在るべき姿が浮かび上がりません。他方、テレビで流れている「遠山の金さん」や「水戸黄門」の影響もあり、日本的な法意識は連綿として続いています。
 輸入して高々百五十年ですので、デモクラシーが社会にすっかり根付いていないのは仕方がない面もあります。したがって、法制度と法意識がぴったり一致していないのであれば、そのずれを認識した上で、現実的に法制度を運用していくことが必要になります。

2007年11月10日 (土)

4-10 政治の終焉

 投票率のゆるやかな下落傾向が続いています。90年代以降、その傾向が顕著になり、衆議院選挙ですら6割を切ることがおきました。選挙は政治に参加する重要な権利と習いましたし、選挙の前にはテレビや新聞で投票が呼びかけられます。だれでも選挙の重要性は否定しないですが、せっかくの休日ですので、ついつい他の予定を優先させたくなります。期日前投票は便利な制度ですけど、それでも投票場所が限られていて、明日でいいやと繰り返すうちに投票日になってしまうこともあるでしょう。
 投票に行かない人には、行ったことのない人と行く必要性が感じられない人の二通りがあると考えます。前者の防止策としては、学校教育の段階で選挙の現場を見学することなど、投票を身近にする必要があると思います。例えば、投票所で発行される投票済証によって、買い物の割引を受けられるサービスなどが広がると、試しに投票所に行ってみようという人が増えるかもしれません。また、セキュリティが十分確保され、インターネットでの在宅投票が現実的になれば、投票率がアップするかもしれません。他方、選挙に行く必要性が感じられないのは、社会的に重大な問題がないからかもしれません。そうであるなら、社会が安定している証拠であり、ひどいことではありません。戦争が起きるような状況なら、否応無しに投票率は高まります。
 政治や行政で争点が小さくなるのは先進国共通の現象です。発展途上国では政治や行政の果たす役割は大きく、人々の生活に直結します。争点が小さくなるのは豊かになったからであり、悪いことではありません。争点がなくなった後は、政治の娯楽化がおきます。メディアが意図して対決を鮮明にしたり、因縁をからませたりすることすらあるように映ります。さらに、政治や行政だけが社会問題を解決する時代が過ぎ去ったことも事実でしょう。政治や行政が安定すると市場で解決可能な領域が増えます。また、市場はどんどん国際化し、国内の政治や行政がコントロールすることは難しくなっています。政治や行政の役割は確実に縮小しています。
 安倍政権の「美しい国」というフレーズも争点なき時代の言葉でした。観念的で、聞く人によって異なった解釈がなされます。そもそも、政治や行政はある種の技術です。それが道徳的な善悪や価値観としての美醜に立ち入るのは、おだやかではありません。独裁国家や全体主義が好む手法です。政治や行政が家庭や個人の内面に関与するのは窮屈な社会ですし、脆弱な国家です。政治や行政など権力はよっぽどのことでもない限り、控えめでいてくれる方が暮らしやすく、健全だと思います。
 小泉政権、安倍政権は改革を正面に掲げました。政治家は改革や維新という変化を表す言葉が好きです。維新とは、すべてが改められ、すっかり新しくなることです。しかし、現在は明治維新のような変革期ではありません。また、終戦直後のような混乱期でもありません。むしろ、江戸中期のような安定期です。世襲の政治家が多いのも安定期の印です。安定期に維新は無縁です。無理矢理に維新を始められるようなら、かえって社会は迷惑するでしょう。

2007年11月 9日 (金)

4-9 政策より選挙

 国会は法律を作るところと習いました。確かに国会は法律の審議をしますが、実際に法律案を作っているのは官僚です。議員が法律案を提出する議員立法も大概は官僚が案を作成しています。野党の提出法案すら、立法府に出向している中央省庁の官僚が作成することがあるくらいです。
 政治家に法案作成能力がないわけではありません。政治家にも弁護士出身や官僚出身など法律に明るい人はたくさんいますし、族議員と呼ばれる政治家は官僚よりも政策に精通している場合があります。しかし、政治家には法律作成にかける時間がありません。多くの政治家は広い意味での選挙運動に活動の九割を割いているでしょう。結果として、政策に取り組めるのは活動の一割程度になります。理由は政策立案が票に結びつかないからです。政策能力よりも浸透度や知名度が当落の決め手です。なるべく多くの人と会おうとするドブ板選挙が繰り返されるのもこのためです。
 選挙活動は政治家から見れば有権者の声を聞くチャンスですし、有権者にとっては政治家に要望を伝えることのできる機会です。民主主義の政治プロセスで選挙活動は理論上、大きなプラスの効果を持つとされます。ただし、現実には政治家は特定の支援者と会う機会が多いでしょう。熱烈な支援者は政治家にとって、お得意さまです。お得意様対応として旅行やスポーツ大会など色々なイベントが開かれます。しかし、特定の支援者が世論を代弁しているわけではありません。むしろ離れているきらいすらあります。選挙活動が政治プロセスに与えるよい効果も実際には限定的でしょう。
 最近の選挙での変化にマニフェストの普及があげられます。抽象的な約束である公約と違い、マニフェストは具体的な約束です。選挙の際に、個別政策の目標や期限を提示されれば、有権者は判断がしやすくなります。マニフェストは後で政策評価する際の基準にもなります。全体としてマニフェストの普及は良い流れです。ただし、多くの有権者は個別政策の細かい内容すべてを理解できるわけではありません。データを操って、実績を過大にみせかけるなどは慎んでもらいたいものです。
 小選挙区での選挙は政権選択の色彩が強まります。したがって、政治家の個性や活動が当落を左右することが小さくなっています。他方、長期的に支持政党のない無党派層が増加しています。無党派層は支持政党がないだけでなく、政治それ自体に強い関心を持たない人たちです。無党派層は、その時々の空気で投票を決める傾向があるとも分析されています。05年の郵政選挙では、テレビ番組などを基準に多くの人が選挙二週間前までに投票を決めていたとの調査結果があります。各候補が選挙カーに乗って訴えたことなどは、小さな影響しかなかった理屈になります。その上で、当落のポイントになったのは、候補者のクリーンさではないでしょうか。ダーティでも力がありそうな人が当選するのは社会混乱期の特徴です。現在のように、クリーンさが非常に重視されるのは、日本の社会が安定しているからだと思います。

2007年11月 8日 (木)

4-8 選挙制度と改革

 規制緩和と並んで行政改革は政治的に手の付けやすい政策です。相手がある外交や世論が必ず反対する増税は、強い政権でないと抜本的政策を実行出来ません。それにくらべて官僚相手の行政改革は政治的リスクが高くありません。弱い政権は往々にして行政改革を進めるポーズをとって、世論にアピールしようとします。
 ただし、行政改革が利権の改革にまで踏み込むと話は別です。道路公団改革は道路利権に直結しましたし、郵政改革は郵便局の票と関係しました。単なる行政改革は官僚と霞ヶ関の問題にとどまりますが、利権改革は政治家と永田町の問題になります。利権改革とは、既得権にメスを入れることです。当然、既得権を持っている人は反対します。
 政治的にもめる改革の最たるものは選挙制度改革でしょう。政治家にとって選挙制度改革は他人事でなく、自分の生活と将来に直結します。医者が自分の生活習慣病を治療しようとするくらい難しいものです。近年で最大の選挙制度改革は、衆議院での小選挙区制の導入でした。小選挙区制とは選挙区で一人が当選する制度です。以前の衆議院選挙は選挙区で複数人が当選する中選挙区制でした。中選挙区制で政権をとるには、政党は一つの選挙区で複数候補者をたてざるをえません。同じ党内で競うことになるわけですから、党内に派閥ができます。中選挙区時代は、大臣すら派閥の推薦で決まっていました。そのため、大臣は総理よりも派閥のボスの指示に従いました。それが小選挙区制になると選挙区でただ一人が当選することになります。選挙は党の選択に直結し、政権選択の色が強まります。公認候補を決める党執行部が議員の生殺与奪を握ることになりました。これでは選挙互助会としての派閥の意義は低下します。選挙を繰り返すごとに選挙制度改革は浸透します。政治家に最も影響する改革が選挙制度改革です。
 改革とは響きのよい言葉です。実際に改革をしない政治家も改革を気取ることがあります。権力を手にするまで改革で、手にした後は反動になる政治家も多いでしょう。改革には失敗もあります。改革が無条件に正しいわけではありません。改革も保守も政治的立場が違うだけです。改革派と保守派が争うのも権力闘争に変わりありません。革命も同じです。革命で王権が倒れても、新しい権力ができただけがほとんどでした。革命によって、庶民の生活が改善したことは、歴史上で多分ないでしょう。革命も権力闘争の一形態にすぎません。
 革命は血が流れないと終わらないものがほとんどでした。時にそれが、社会の安定に寄与した面もあったかもしれません。しかし、革命により社会全体で有為な人材が減少するのは確かです。同じ権力闘争でも、選挙による政権交代はその点が合理的です。負けても物理的に命がなくなるわけではありません。選挙での敗北をきっかけに、負けた党が国民に支持されるべく変わることもあります。一つの政治的方向が行き詰っても、他方が別の政治的路線を準備しているなら、国家として大失敗を犯すリスクは減ります。独裁は、戦前の軍部のように後戻りが出来なくなって、政権だけでなく国家そのものを滅ぼします。選挙とはマクロでみると、安定的な社会システムです。

2007年11月 7日 (水)

4−7 政治とスキャンダル

 政治や行政を舞台にした金銭スキャンダルは毎年のように起こっています。ロッキード事件やリクルート事件など大きなスキャンダルが明らかになると政権が倒れます。田中内閣以降、短命の内閣が多かった理由の一つは金銭スキャンダルです。選挙など政治活動には金がかかります。政治や行政は予算や権限で利権につながるので、不正な金銭の授受が起こる可能性が絶えずあります。
 選挙は、収入のないコンサートを開催するようなものです。どちらもポスターやパンフレットを作り、宣伝して、知名度をあげて、いかに多くの人に足を運んでもらうかが勝負です。何万人、何十万人もの人に、コンサートでは会場へ、選挙では投票所に足を運んでもらいます。コンサートはチケット売上で費用を回収しますが、選挙に売上はなく、寄付に頼らざるをえないのが大きな違いです。政治活動は売上なき事業です。積極的に活動をすればするほど人件費などがかかって、赤字は拡大しがちです。政治家はいつもお金に苦労します。
 政治家に与野党の違いはありません。与党だけでなく、野党も地元の利権には敏感です。例えば公共事業計画などでは、話をまとめる側の与党政治家よりも野党政治家の方が無理難題を言うことがあります。ですから、金銭スキャンダルを野党が追及すると、実は野党も関係していたことが後で分かることがあります。
 与野党の別なくスキャンダルが起きる結果、政治不信が広がります。政治家や官僚が信頼を失った原因の多くは、政策の中身や結果ではなく、スキャンダルです。戦前の日本で軍部が独走した背景にも政治不信がありました。ナチスドイツの勃興も、政争を繰り返す政党への不信が原因の一つでした。政治不信はいつしか危険な政治否定になります。政治の根幹は信頼ではないでしょうか。
 選挙で選択したり、政治を考えたりする時には誤りのない情報が必要です。知る権利は民主主義の基本です。しかし、知りたくないようなスキャンダルもあります。クリントンは言語道断ですが、異性のスキャンダルはその一つかもしれません。隠し子騒動などは、あえて掘りおこす必要がないのではと思ったりします。騒がない大人の世論もこなれた民主主義でしょう。フランスでは大統領の隠し子が発覚しても世論はおおらかでした。
 ところで、日本には清貧の思想が根強くあります。貧しくても清いのが正しいとされます。しかし、これを政治に押し付けるのは非現実的です。政治は社会の利害調整が役目です。倫理や道徳ではありません。実際に議会では数や派閥が物をいいます。派閥を維持するには金も必要でしょう。また、政治献金は政策要望を実現する現実的な手段です。金銭ですべてが決まるのはまずいですが、適法な範囲なら多額の政治献金すら社会的ダイナミズムの一つでしょう。投票する側の国民も、あまり神経質になりすぎないのが妥当ではないでしょうか。政治否定は危険です。スキャンダルに対しても粘り強く監視するくらいが適当だと思います。

2007年11月 6日 (火)

4−6 規制緩和と民営化

 90年代は規制緩和の時代でもありました。規制緩和は政治的に手の付けやすい改革です。特定業界は反対しますが、財政改革や不良債権処理に比べて規制緩和の政治的リスクは高くありません。90年代は規制緩和による内需拡大を欧米から迫られましたし、国内でもビジネスチャンスを求めて規制緩和が要望されました。従来、規制により参入できなかった領域が民間に開放されるのは新たにフロンティアが出現するのと同じです。例えば、昭和の終わりに行われた電気通信事業の開放は市場拡大に大きく寄与しました。
 90年代に撤廃された規制は実際のところあまりありません。許可を認可に、認可を届出に変えるような規制変更がほとんどでした。ただし、規制変更でも政策担当者が考える以上に規制緩和の効果は働くものです。規制をクリアするために手間隙がかかることは事業意欲の減少につながりがちです。わずかであれ規制が緩和されることは実務上もプラスですし、行政裁量の減少にもつながります。さらに、規制緩和は新規参入を容易にするようなプラスの印象を世間に与えます。普通の人にとって、規制を理解することは容易ではありません。役所の意向を気にしなくてよいのは、民間の判断を自由にします。
 規制には経済的規制と社会的規制があるとされてきました。しかし、簡単に二分できません。タクシーの台数制限や料金規制の緩和は、コスト競争をよび、不幸にも安全配慮を怠ることにつながることがあります。これは運輸規制が経済的規制であり、社会的規制でもある例です。近年では、規制緩和の行き過ぎを指摘する声も聞かれるようになりました。絶対的に正しい規制水準というのはありません。規制を時代環境に合わせる必要がありますし、現実を踏まえて再設計する姿勢が大切です。
 90年代が規制緩和の時代なら、00年代は郵政民営化の時代でしょう。郵政民営化は5年に及ぶ小泉政権の最大テーマでした。80年代の国鉄は、毎年1兆円もの赤字を計上しており、37兆円にも及ぶ巨額の累積赤字解消が民営化の理由でした。それと同じような積極的理由は郵政民営化にはありません。また、21世紀において郵政事業は国の根幹ではなく、国論を二分するような産業でもありません。率直に言って郵便局が民営になろうがならなかろうが、大多数の国民にとってはどちらでもよいことです。ですので、支持率の高い総理大臣が郵政民営化を改革の象徴とし、自らの政治生命をかけるのなら、反対する国民がすくないのも当然の結果です。
 実際の郵政民営化は自由化と捉えるのが適当でしょう。郵貯・簡保の自由化は金融自由化の仕上げをかざるものです。従来、郵便局は競争が十分でない金融業界で、競争を促進する役割を果たしました。その役割が終わり、民営化後は自由化された市場で有力なプレーヤーとして活動することになります。大筋として現実的な方向でしょう。万が一、民営化して問題が発生するようなら、柔軟に修正を加えるのがよいと考えます。民営化を先駆けたニュージーランドでも民営化の見直しが行われました。民営化も制度変更の一つにすぎません。教条的にならずに、どんな制度であれ時代と環境にあわせるのが適当です。

2007年11月 5日 (月)

4-5 省庁の再編

 世紀が変わった01年1月に中央省庁が再編されました。明治維新、戦後以来の改革とうたわれました。大きなポイントは二つです。省庁を大くくりにしたことと縦割り行政を改めようとしたことです。省庁再編まで一府二十二省庁だったのが、再編後は一府十二省庁に変更されました。また、省庁ごとの縦割り行政を防止するために調整制度が設けられました。
 議論が本格的にスタートしてから再編が終わるまで5年近くを要しました。日本社会では会社や組織は生活共同体ですので、企業合併であれ省庁再編であれ、組織変更は所属する人々にとって、おおごとです。特に、省庁は法律によって設置され、権限が定められていますので、法律が見直され再編されることは活動の根本に関わります。したがって、霞ヶ関の官僚にとって省庁再編は非常に大きな事件でした。再編を検討する機関の委員に働きかけたり、国会議員に根回ししたりの連続でした。
 銀行が合併しても、特段、サービスが向上することはありません。利用者がメリットを実感することもあまりないでしょう。それと同じで、政府が大改革と宣伝した割に、省庁再編は国民生活とほとんど無関係でした。大くくりになった省庁でも、組織や予算は再編前の省庁単位で運用されています。省庁トップも合併した組織ごとに順送りで就くのが一般的です。また、省庁間の政策を調整する制度が出来たにもかかわらず、相変わらず縦割り行政は続いています。器は変わりましたが、中身はほとんど一緒です。
 省庁再編の唯一の成果は、省庁再編を実施したという事実であり、経験です。既存省庁の枠組みは、官僚の考え方と行動の出発点であり、当然の前提でした。それが再編により、省庁の枠組も変更可能な普通の制度であることが明らかになりました。また、これまで省庁ごとにバラバラだった内部組織の設置規則が統一されました。中央省庁全体が、約百の局と約千の課からなる組み合わせ可能なパズルになりました。したがって、再々編は再編よりもずっと容易に出来ます。省庁再編は日本では世紀に一度の大改革でしたが、諸外国ではしばしば実施されます。フランスでは内閣が大幅に変わった際に実施される程度の行事です。実施日になって省庁の看板が変わってないこともあるくらいの関心事です。
 最近でも、情報通信省構想などが政府や与党の関係者から発言されます。どんな枠組みも完璧ではなく、それぞれ長所と短所があります。ですので、フランスのようにその時々の内閣の方針に合致した省庁制度を柔軟に試してみるのが実利的だと考えます。省庁の枠組みは国民生活に直結するわけではありませんので、長期で再編議論をする必要もないでしょう。議論されることが多い、縦割りや二重行政すら、政策競争につながり、行政パフォーマンスが上がるのであれば目くじら立てる必要はありません。組織はいつのまにか維持そのものが目的になることがあります。であれば、行政組織全体を効率化する意味でも、柔軟に省庁を再編する慣例があってよいと考えます。

2007年11月 4日 (日)

4-4 地方への分権

 日本の行政は国、都道府県、市町村による三層構造になっています。ただし、国が基本的な仕組みを決める中央集権です。フランスなどと同じです。中央集権の対極にあるのが連邦制です。アメリカやドイツが有名でして、国は州の集まりです。国の権限は外交や通貨発行など全国的なものに限定されており、多くの分野で州が権限を持っています。各州は州内の法律だけでなく、州の憲法も定めます。日本でしばしば耳にする地方分権は、中央集権の枠組みの中で連邦制のように地方の独立性を高めようというものです。
 日本は明治になって国の近代化を始めました。その前の江戸時代は藩の独立性が高く、日本は一種の連邦国家でした。江戸幕府を倒した明治政府は、強力な中央集権により、急速な近代化を図りました。戦後も中央集権により復興と国土開発が進められました。国全体として明確な目標がある間は、中央集権に大きな疑問は生じないものです。連邦国家のアメリカですら、大恐慌からの回復や戦争の間には中央政府の力が強まりました。しかし、国家目標が薄れると、中央が統一的に政策を実施する必然性も薄れます。地域のことは地域で決めるべきと、地方分権が唱えられるのは自然な流れです。
 地方分権の一つの形に道州制があります。道州制は現在の東北地方や四国地方みたいに、複数の都府県を行政単位にしようというものです。都道府県の代わりを州が担って、行政範囲を広域にするイメージです。街づくりは地域で進めるべきものでしょうし、農業や教育だって地域が独自色を政策に反映させてしかるべきでしょう。そのような地方分権には一定の合理性があります。ただし、現在唱えられている道州制は、導入理由が今ひとつ明確化されていないと感じます。国の権限を委譲するなら都道府県にすれば済みそうです。そもそも多くの人は、所属する地方にそんなに親近感を持っていないでしょう。道州制を導入するなら、地方行政のスリム化など明確な目標が必要です。
 現在の都道府県制度は、明治の廃藩置県が発端です。廃藩置県は、殿様を引退させ、地方から中央に権力を移動する革命でした。この地方と中央との争いの結末が、明治政府と薩摩が争った西南戦争でした。中央集権は、かくも大きなエネルギーがぶつかった結果であり、明治政府が存在をかけて実施した政策です。この流れをくむ都道府県制度を崩すには、同じくらいのエネルギーが必要かもしれません。地方分権とは、霞ヶ関から地方が権限を取り返すことです。地方が中央にお願いして進める代物ではありません。地方が中央から権限を奪えるかどうかの争いです。
 江戸時代の藩は「くに」とも呼ばれていました。実は藩というのは幕末や明治になって普及した言葉です。生活は藩で完結していたので、人々はあらためて藩を意識することはありませんでした。以前にも書きましたが、飢饉が発生して隣の藩が飢えても藩同士で助け合うことがないのが江戸時代です。地方分権は自由になることですが、同時にリスクをとる覚悟が必要です。分権だけが地方行政の処方箋ではありません。都道府県でも市町村でも、比較したり参考にしたりできる地方自治体は、国内に山ほどあります。行政分野ごとに他の地方自治体の成功事例を真似るだけでも、行政水準は相当アップします。

2007年11月 3日 (土)

4-3 市町村の行政

 普通の人が接する役所は、市役所や町役場が多いでしょう。国の行政機関と違って身近な印象ですが、お役所仕事という言葉があるくらい、のんびりしたイメージです。市役所や町役場は地方の行政を担当します。国が治めるのではなく、地域が自分で治めることを地方自治といいます。憲法では第八章で地方自治が定められています。大日本帝国憲法では地方自治は定められていませんでしたので、戦前の中央集権的な行政を改めるために戦後に設けられました。
 最近よく市町村が合併します。昭和の中頃に三千数百だった市町村が、21世紀になった数年で、約半分になりました。国が実質的な財政支援により合併を促した結果です。行政サービスを提供するには大きい方が望ましいとの国側の判断が背景にあります。企業の合併と基本的には同じ論理です。明治以来、市町村は合併によって一貫して数が減ってきました。農村から都市に生活基盤が移るとともに、生活範囲が拡大したことが主な原因でしょう。明治の初めには市町村は7万もありました。藩は江戸時代平均で三百に届かなかったそうです。現在の小選挙区も三百くらいです。ひとまとまりの地域としては、現在の千数百でもまだ数が多い気がします。
 また、近年、財政的に行き詰まる市町村も増えています。産業が停滞し、人口が減少して、市町村の収入が減ったためです。事態の打開にむけ、産業を振興し、行政サービスを維持しようとすると逆に支出は増加します。市町村の経営が失敗する理由は、民間企業と同じで、収入減少と支出増大です。アメリカでは地方自治体も企業と同様に連邦破産法の適用があります。破産というと深刻な響きですが、内容は会社更生のようなものでして、過去をきちんと清算し、再出発しようという制度です。今後は日本でも自治体財政の破綻を想定して、制度を整備しなければならないでしょう。
 財政が行き詰まるのは、地方自治体へのチェックが甘いからです。総理大臣の名前はすぐに思い出せますが、市長の名前は思い出せない人が多いでしょう。政治や行政の関心が国にばかり向かっている結果です。もう少し地方自治体へも目を光らせるのが適当です。知事や市長は、住民に直接選ばれる大統領型のリーダーであり、強い権力者です。本来は、議会が知事や市長をチェックするのが役割ですが、行政範囲が拡大すると議会だけでは不十分になくなります。一つの試みが、行政サービス自体を企業やNPOなどに代行してもらうアウトソーシングです。行政範囲の拡大自体に歯止めをかける方法です。その他にはオンブズマンという名称の民間チェック機構の活用もあります。会社経営に携わった退職者などが、自治体経営をチェックするのも合理的でしょう。大学の機関などが評価する機能を担うこともあるでしょう。
 どんな権力であれ、権力は必ず腐敗します。また、絶対権力は絶対に腐敗します。知事や市長が長く職に留まることも社会的にはプラスよりもマイナスの方が大きいでしょう。首長の多選禁止は、腐敗防止の現実的解決策になりうると考えます。

2007年11月 2日 (金)

4−2 行政と官僚

 内閣のメンバーである大臣の下で、実際に行政を担当するのが官僚です。官僚の仕事は、選択肢を大臣に提示し、下された決定を実効することです。日本では国会近くの霞ヶ関という街が官僚の総本山です。高度経済成長の頃は、日本の官僚が国内外で高く評価されていましたが、平成に入ると不祥事が続発し、次第に官僚不信が広がりました。
 官僚の力の源泉は、法律による権限と予算の配分です。戦後、法律が整備されるとともに官僚の権限は増えました。しかし、社会が成熟して規制緩和が進むと官僚の権限は減少に転じました。また、財政赤字が深刻化し、公共事業削減などを通じて予算を差配する裁量も少なくなってきました。日本はフランスなどと並んで伝統的には官僚が強い国です。江戸時代には侍=官僚が「お上」を構成していました。それでも、近年はアメリカのように官僚の社会的地位が急速に低下しつつあります。
 実際の行政は省庁単位で行われます。官僚は省庁単位で採用され、個別省庁に所属します。官僚もサラリーマンですので、省庁と官僚の関係は、企業と従業員の関係と変わりません。往々にして官僚は所属する省庁の利害のために働きがちです。法律であれ、予算であれ制度は省庁単位で作られるので、自然と制度が省庁の縄張りになります。たとえ縄張りであっても、法律も予算も制度化される時はそれ相当の作る理由があってのことなので、たいがいは合理的です。でも、一度決まってしまった制度は、存在意義が薄れても縄張り維持のために温存されるのが常です。個別省庁の利害が公共の福祉よりも優先される例がよくみられます。
 官僚が規制を作りたいと思っても、理由がなければ規制はできません。社会的なトラブルが発生すると再発防止が世論になり、規制が生まれます。皮肉なことに、問題が起きると官僚の権限は増えることになります。古い制度をスクラップすることはあまりないので、放っておくと官僚機構は肥大化します。別に日本に限ったことではありません。世界中どこでも見られる現象です。行政改革とは官僚機構の肥大化にストップをかけることです。
 行政改革では外部からの人材登用により、組織を活性化することが有用です。アメリカのように幹部官僚を政治任用するのも一案でしょう。ただし、あまり政治任用の範囲が大きいと行政組織に党派が持ち込まれるおそれがあります。理論的に最適な解答はないので、色々試して、その社会にあった人事制度を見つけるしかありません。日本では、組織は生活共同体になって、組織の存続自体が目的になりがちなので、政治任用範囲を拡大してみる価値は大いにあります。
 行政組織が社会で幅広い役割を果たすのが大きな政府です。北欧が有名です。反対が小さな政府でして、アメリカの共和党がよく政策に掲げます。うまく機能するなら、弱者に優しい、大きな政府は魅力的です。しかし、大きな政府は経験上、必ず無駄を生み出します。現実的には小さな政府を目指し続けるのが妥当でしょう。その上で、急速に進む高齢化社会にどのように対応するかが、日本では現実の課題になります。

2007年11月 1日 (木)

4-1 行政の制度

 日本国憲法第65条で「行政権は、内閣に属する。」とされています。行政とは、国家活動から立法と司法を除いたすべての活動です。日本の行政は総理大臣をリーダーとして、内閣というチームで運営されます。
 主な行政の制度としては内閣制のほかに大統領制があります。大統領制はアメリカが有名ですが、アメリカ以外の国では独裁につながったり、クーデターが頻発したりした事例が多く、運営が難しいとの評価があります。内閣制、大統領制のどちらもイギリスの制度をおおよその源流とします。建国時のアメリカは当時のイギリス王政を参考に大統領制を作りました。その結果、当時のイギリス国王が持っていた軍隊の指揮権や法律への拒否権をアメリカ大統領は今も保持しています。他方、イギリスでは国王の権力が次第に弱まり、国王に責任を負っていた内閣が議会に対して実質的に責任を負うようになりました。
 戦前の日本では内閣の一員である大臣一人ひとりが天皇に責任を負い、戦後の日本では内閣全体が連帯して国会に責任を負っています。内閣が最初は元首に責任を負い、徐々に議会にしか責任を負わなくなるのが歴史的傾向です。現在では、内閣制と大統領制の中間的な制度もフランスなどでみられます。議院内閣制で小党が分立して不安定な状態が続いたために、それを補う目的で中間的な制度が生み出されました。
 いずれの制度も歴史の産物です。各国の政治環境が採用する制度を決めてきました。その制度をうまく運営できるかどうかは、運営に携わる人々の個性によることが多いでしょう。同じ制度でも国が異なれば運営結果は異なりますし、同じ国でも時代が異なれば運営結果は異なります。戦前の日本の制度も明治時代はうまく機能して、大正時代では機能不全に陥りました。
 中曽根内閣、小泉内閣の例外はありますが、総じて70年代以降の日本は不安定な政権が続きました。サミット(主要国首脳会議)でメンバーがいつも変わるのは日本だけの印象でした。にもかかわらず政治は安定しています。不安定な政権と安定した政治という珍しい組み合わせです。アメリカ、イギリス、フランスなど先進国では国のトップはころころ変わりません。任期が長いこともありますが、一番の要因は人気(支持率)が続くことです。日本では政権のスキャンダルで支持率が低下し、政権交代することがしばしばです。
 欧米と日本の国のトップを比較して、欧米のトップが日本の総理よりも優れている点は、伝える力でしょう。それが支持率の維持に結びついていると考えます。パフォーマンスと非難されても、中曽根総理も小泉総理も伝える力がありました。先進国のリーダーは政策や考えを分かりやすく伝える力を持つ人がほとんどです。ごく普通の人々にとって、政治とは参加できるものでなく、委ねるものです。委ね続けるかどうかはトップの姿勢で判断されます。メッセージが伝わってこない人は、姿勢を評価する前にそもそもアウトでしょう。伝える力は、伝えなければならないという使命感と伝えたいという心情に比例すると思います。

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