4-10 政治の終焉
投票率のゆるやかな下落傾向が続いています。90年代以降、その傾向が顕著になり、衆議院選挙ですら6割を切ることがおきました。選挙は政治に参加する重要な権利と習いましたし、選挙の前にはテレビや新聞で投票が呼びかけられます。だれでも選挙の重要性は否定しないですが、せっかくの休日ですので、ついつい他の予定を優先させたくなります。期日前投票は便利な制度ですけど、それでも投票場所が限られていて、明日でいいやと繰り返すうちに投票日になってしまうこともあるでしょう。
投票に行かない人には、行ったことのない人と行く必要性が感じられない人の二通りがあると考えます。前者の防止策としては、学校教育の段階で選挙の現場を見学することなど、投票を身近にする必要があると思います。例えば、投票所で発行される投票済証によって、買い物の割引を受けられるサービスなどが広がると、試しに投票所に行ってみようという人が増えるかもしれません。また、セキュリティが十分確保され、インターネットでの在宅投票が現実的になれば、投票率がアップするかもしれません。他方、選挙に行く必要性が感じられないのは、社会的に重大な問題がないからかもしれません。そうであるなら、社会が安定している証拠であり、ひどいことではありません。戦争が起きるような状況なら、否応無しに投票率は高まります。
政治や行政で争点が小さくなるのは先進国共通の現象です。発展途上国では政治や行政の果たす役割は大きく、人々の生活に直結します。争点が小さくなるのは豊かになったからであり、悪いことではありません。争点がなくなった後は、政治の娯楽化がおきます。メディアが意図して対決を鮮明にしたり、因縁をからませたりすることすらあるように映ります。さらに、政治や行政だけが社会問題を解決する時代が過ぎ去ったことも事実でしょう。政治や行政が安定すると市場で解決可能な領域が増えます。また、市場はどんどん国際化し、国内の政治や行政がコントロールすることは難しくなっています。政治や行政の役割は確実に縮小しています。
安倍政権の「美しい国」というフレーズも争点なき時代の言葉でした。観念的で、聞く人によって異なった解釈がなされます。そもそも、政治や行政はある種の技術です。それが道徳的な善悪や価値観としての美醜に立ち入るのは、おだやかではありません。独裁国家や全体主義が好む手法です。政治や行政が家庭や個人の内面に関与するのは窮屈な社会ですし、脆弱な国家です。政治や行政など権力はよっぽどのことでもない限り、控えめでいてくれる方が暮らしやすく、健全だと思います。
小泉政権、安倍政権は改革を正面に掲げました。政治家は改革や維新という変化を表す言葉が好きです。維新とは、すべてが改められ、すっかり新しくなることです。しかし、現在は明治維新のような変革期ではありません。また、終戦直後のような混乱期でもありません。むしろ、江戸中期のような安定期です。世襲の政治家が多いのも安定期の印です。安定期に維新は無縁です。無理矢理に維新を始められるようなら、かえって社会は迷惑するでしょう。
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