3−5 不良債権処理
90年代後半から日本経済は不良債権処理に悩まされ続けました。小泉政権の最大成果は不良債権処理だったと思います。不良債権とは、戻ってくる見込みがなくなった銀行貸付です。円高対策などで金融が緩められ、金余りが生じてバブル経済が発生しました。バブル経済では、銀行は土地を担保に企業に金をどんどん貸しました。しかも、土地はずっと値上がりすると妄信されていたので、担保の基準も大変ゆるいものでした。振り返るとおかしな時代でしたが、当事は大多数の人が違和感を覚えないくらいに感覚が麻痺していました。しかし、多くの借りられた金はゴルフ場やリゾートの開発など意味のない投資につぎ込まれました。バブルがはじけ地価が下落すると、借金の山が残っただけでした。
不良債権処理では、貸した金が返ってこない場合に備えて、銀行は金を積み立てます。実際に貸した金が返ってこない時に、積み立てた金をあてがう形です。不況が長引くと倒産の危険が広がるので、金を積み立てた(引き当てた)そばから、新たな不良債権が発生します。返ってこない金が増え続ける限り、銀行の不良債権処理は終わりません。90年代後半は、大銀行を含むいくつもの銀行が不良債権処理に失敗し、経営が破綻しました。中小企業への貸し渋りが発生するなど、多くの銀行が貸し出しに慎重になり、不況が不況を生むマイナス連鎖でした。
日本のバブル経済前に、アメリカや北欧諸国でも不良債権処理に四苦八苦した経験がありました。アメリカや北欧諸国の経験から、長引けば長引くほど、不良債権処理は困難になることが専門家から指摘されていました。しかし、景気が回復すれば貸した金は返ってくるはずとの淡い期待により、不良債権処理は先延ばしにされ続けました。情報を開示させてかえって不安が広がらないかとか、税金をつぎ込んでも無駄になるのではないかと政治家や官僚もびくびくして、抜本的な対策は講じられませんでした。税金がつぎ込まれると辞めさせられるかもしれない銀行経営者も公的処理に反対しました。私自身、景気回復によって、不良債権問題も軟着陸できるのなら、それがベターだと思っていました。しかし、投薬では病気は回復しませんでした。
荒治療であっても手術をして、痛みを短期間にとどめることこそ合理的だとの認識がようやく広がりました。しかし、不良債権処理は理屈の問題でなく、だれがリスクをとって、引き金を引くかという政治の問題でした。批判の中、小泉政権が強引にであれ、一気に不良債権処理に目処をつけました。大きな功績だったと思います。そもそも、行政に社会的責任は取れません。というか、責任を取るほどの権限を法律は行政に与えていません。判断し、リスクを引き受けるのは政治の役割です。普通の問題を処理する時は、緻密な計算が効果を発揮します。しかし、社会的大問題を処理する時は、シンプルな方針とぶれない決心こそ重要になります。参謀である担当大臣が思いをめぐらし、指揮官である総理大臣が指示を出すのが効果的なようです。反対に、総理大臣が細部まで考えたりすると、指揮官と参謀を同じ人が兼ねることになり、往々にして失敗するようです。
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