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2007年10月 5日 (金)

1−5 おおらかな表現ルール

 日本に滞在する外国人が感じる違和感の一つに、電車の吊り広告があるそうです。日本では、男性誌や女性誌の吊り広告に、性的な表現を使った見出しがよくみられます。外国では、そもそも東京ほど車中に多くの吊り広告はありませんが、露骨な性的表現を使ったものはほとんど目にしません。また、最近までコンビニエンス・ストアでも、成人雑誌がテープで留められもせずに販売されていました。子どもが訪れ、手に取れる場所に、成人雑誌が無造作におかれていたことにも外国人は違和感をおぼえたそうです。
 文化の違いに応じて、暴力に関する表現の捉え方も異なります。ゲーム表現も問題になることがありますが、なんと言っても有名なのが日本アニメを海外で放映する場合でしょう。ドラゴンボールはフランスなどで大変人気を博しましたが、戦闘シーンの表現が子どもの視聴に相応しくないとしばしば問題視されました。
 性的な表現でも、暴力を描いた表現でも日本の表現ルールは、諸外国に比べて緩やかなものだと感じます。室町時代から江戸時代の春画も性的に随分露骨でしたしし、日本社会は昔から表現ルールにはおおらかだった気がします。
 戦後のテレビに関する規制に関しても同じ傾向があります。日本の放送法にも公序良俗に関するきまりや政治的公平に関するきまりがありますが、それらの規制を根拠に放送局が罰せられることはまずありません。もっともらしい注意や再発防止への指導にとどまります。他方、欧米各国では、しばしば規制当局は放送局に罰金を課したり、放送停止処分を下したりします。第二次大戦当時に表現の自由が制限された苦い教訓が日本の規制に影響している面はあるでしょう。
 民間放送は広告収入が基本なので、全国放送のチャンネル数は一国の経済規模に比例する傾向にあります。それに加えて、日本ではテレビの表現規制が少なかったことが、テレビの普及発展、とりわけ民間放送の普及発展にはプラスに働いたと考えます。くだらない番組が多いとの指摘もずっと以前からありますが、くだらない番組がなくなる時代というのは暗い時代がほとんどです。独裁的な政権はどこでも表現や批判に神経質になり、過度の規制を課そうとします。色々な番組があり、かたやそれに対する批判があって、表現の自由を通じて、なんとなく常識やルールが形成されるくらいが民主主義としては健全だと思います。表現や批判が自由であることは安定した社会の証拠でもあります。
 ただし、文化によって受け止め方は異なりますから、日本のコンテンツを輸出する際は相手国の宗教的側面などを酌む必要があります。反対に、ポルノなどでは日本では受け入れ難い表現というのもあるでしょう。インターネットは今後ますます高速大容量になっていきます。海外のコンテンツを自由に視聴できるようになれば、表現に関する国際的な問題は増加します。百年くらいしたら、各国の表現ルールも大差がなくなっているかもしれません。

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