1−4 分厚い中間層
日本社会の歴史的特徴に分厚い中間層が挙げられます。この分厚い中間層と稲作は切っても切れない関係にあります。日本の歴史は稲作拡大の歴史でもありました。
経済学を作ったアダム・スミスが指摘しているように、米は小麦などに比べて、同じ耕作面積での生産カロリーが大きく、同一面積で多くの人を養うことが可能です。その効果もあり、米の普及によって日本の人口密度は高まりました。また、日本の稲作は欧米の小麦生産と比べて手間ひまのかかる農業です。加えて、田植えや稲刈りなど、きまった季節に多くの働き手が必要になる特徴があります。ある程度の量の単純労働でなく、多くの量の熟練した労働が求められる生産様式です。
そこで育まれたのが共働社会です。日本のコミュニティ(共同体)のキーワードは「共に働く」でしょう。一緒に働くことを通じて、お互いを認め合い、組織や地域の維持運営をはかります。多くの人がともに働くわけですから、個性よりも協調性が重視されます。また、島国であり、異民族が流入しなかったことも協調性が重視された理由でしょう。異民族と戦うことが日常の社会では、協調性よりも個性や生命力が求められます。一緒に働くことで成り立つ社会は、トラブルが発生しないように、察しあったり、未然に調整したりする社会にだんだんとなっていきました。
個人的には、日本人の相手を察する能力は、日本語の特徴とも関係が深いと思っています。同音異義語が多い日本語では、聞き手はいつも無意識に相手の背景や意図をくんで、発言を理解しようと努めます。この繰り返しが相手を察するコミュニケーションに繋がっていると考えます。
今回も話が変わります。ヨーロッパでは王様のお妃を他国から迎えるということがよくありました。また、後継者に王族の親戚を他国から呼んでくることもありました。その結果、新しい王様が言葉に不自由する場合すらありました。各国の王侯貴族は親戚関係で結ばれ、貴族階級間での国際的移動は比較的頻繁でした。他方、国内では王侯貴族と一般庶民には超え難い階級差がありました。この確固たる王侯貴族層が生んだ文化がヨーロッパ文化の主流になりました。かたや日本では、士農工商が存在し、階級移動が難しかった江戸時代でも、金で侍になることは可能でした。家系図を買って先祖を書き換えることもしばしば行われました。幕末の重臣、勝海舟の曾祖父は高利貸しで儲けた資金をもとに、息子に旗本を継がせて、子孫を武家にしました。
共働社会の中心は王侯貴族ではなく中間層です。日本文化の歴史的特徴に、ヨーロッパに比肩しうる貴族文化の不在と、庶民文化の深さがあります。その庶民文化を生み出したのが、共働社会を構成した分厚い中間層です。農業から工業へ、さらにサービス業へと生産の中心がシフトした現在でも、分厚い中間層が生み出す文化が日本文化の特徴であることに変わりありません。
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