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2007年10月10日 (水)

1-10 ルネサンスとデジタル

 ミラノのスフォルツェスコ城にミケランジェロの遺作、ロンダニーニのピエタという未完の彫刻があります。
ピエタとは死んだキリストを抱く母マリアの絵や彫刻です。

しかし、ロンダニーニのピエタでは、マリアとキリストは彫りかけの無残な姿で、互いに寄り添っているだけにしか見えません。いくどもの彫りなおしで構図が変わったためか、マリアの腕はおかしな位置にあり、作品を不恰好にしています。ミケランジェロは死の間際までこの作品にノミをふるっていました。
 はじめて接する人はこれがミケランジェロの作品だろうかと目を疑うでしょう。ミケランジェロはルネッサンス史上最大の芸術家といわれています。ピエタにも若かりし頃の三つの有名な彫刻があります。
そのどれもが、神がミケランジェロをして作らしめたといわれているほどの出来ばえです。


 ミケランジェロは己の才能に絶対の自信を持ち、神の姿さえ見えると語っていた天才でした。しかし、晩年には信仰がゆらいだり、友人の裏切りにあったりしました。そして、社会が衰退する中、人生に絶望したといわれています。そのため、神が見えなくなったとミケランジェロの伝記は書きます。
 死の訪れを感じながら、再び神の姿をとらえるために、老いた天才が懸命にノミをふるったのがロンダニーニのピエタです。
実物のロンダニーニのピエタには、見るものを引き込む、不思議な磁力のようなものがあります。ミケランジェロの叫び声が聞こえるようです。
 ミケランジェロと同じ時代に、マキャベリがいます。マキャベリは有能ではあるが決して位の高くない外交官でした。青壮年期のマキャベリは祖国フィレンツェのために身を粉にして働きました。
しかし、政変による派閥抗争に巻きこまれ、無念にも、その職をとかれました。晩年は、片田舎の場末で安酒をあおり、無為にすごしていたそうです。

 マキャベリの晩年は、フランスなどの中央集権国家が興隆した時代でした。一方、イタリアでは、相も変わらず政争が繰り返されるだけでした。そんな中、マキャベリは、祖国を憂い、その力による統一に思いをよせ、君主論を書き上げました。彼はフィレンツェに捨てられたノンキャリアの外交官です。にもかかわらず、深夜、外交官時代の正装に着替え、背筋をのばして君主論を執筆したと伝えられています。既に亡くなった、かつての上司や同僚と想像で語らいながら、ペンを進めたことでしょう。
 ミケランジェロの彫刻であれ、マキャベリの著作であれ、すぐれた表現には、それを作った人の思いや姿勢が感じられます。同じように、現代のマンガやロックでも、作り手の思いや姿勢を、受け手は感じとり、共鳴しているのだと思います。

 デジタルの表現は手軽です。また、楽しさや便利さをシェアすることに優れています。しかし、たかだか数十年の歴史しかないため、伝統ある表現と比較すると稚拙な点もあります。おもしろいデジタルの作品はたくさんありますが、悲しさや不自由さを表現しきった作品はまだまだ少ないと思います。
 ルネサンスとは一瞬を永遠にする時代でした。時代を経て行くゆちに、絶望からの祈りや祖国への憂いを表現するデジタル作品がでてくると思います。
新しい表現は新しい時代とともにやってきます。多分、これからはデジタルによる表現が広がるでしょう。
私は、表現そのものもさることながら、それを生み出す人の思いや姿勢を感じつづけていたいです。

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